また内陸でも、遠方の都市や市場をめざす商人たちは仲間団体を組織し、彼らが携行する財貨と身の安全を守るために、訓練された兵員を同行させていた。この兵員も、都市や商人団体直属の騎士・従士たちからやがて傭兵に置き換えられていく。
かくして、陸上の商業活動にも水上の交易活動にも、早くから、金銭的報酬で軍事力を提供する専門家の集団が登場していた。
そして、都市は王や近隣君侯から自治権や固有の防衛権を与えられていても、軍備をもつ領主たちに周囲を取り囲まれてもいた。それゆえ、実際の独立や安全を確保するためには、固有の軍事力が必要だった。
そして、本来、資産や家業をもつ都市住民は、地位と資産に応じて軍備を保持し、都市の防衛を担う義務があった。だが、軍事テクノロジーの発達と戦争の形態転換、規模拡大などにともなって、軍事は専門家=傭兵の仕事になった。
成長する都市のなかで、聖俗の領主から課税権や統治権を買い取り奪い取った商人団体(市参事会:Stadtrat )は、商業的=営利的原理で陸上軍事力や艦隊を組織・運用した。
ところで、ヨーロッパ全域が貿易網に編合されるとともに軍事革命が進展し、軍事単位としての生き残り競争を繰り広げる領主たちにとってのリスクとコストが高まっていく。結局、領主たちは支配空間を拡大することで、財政収入を増やし軍備を拡張するしかなくなった。
こうして、後知恵的にみると、君侯領主たちの生存闘争は、やがて国民国家にまで発展する領域国家の形成をめぐる競争となっていく。そして、弱小領主は有力な君侯領主に臣従して支配地を併合されるか、戦争に駆り立てられて破滅するかだった。
傭兵や艦隊による戦争はとてつもなく金のかかるものだったから、ヨーロッパでは17世紀までは、最も高度に組織された戦争、最新の兵器や装備や戦術で戦われる戦争は、有力諸都市(商人団体)による戦争だった。
北イタリア諸都市国家による戦争、ハンザ諸都市の艦隊、ネーデルラント諸都市の艦隊と陸上軍などなど。
これれらの諸都市やその同盟は、近隣の君侯領主による王権国家への吸収併合、あるいは領域国家の形成に敵対し、執拗に妨害することで、政治的・軍事的独立を長らく保つことができた。
ドイツやイタリアでは、多数の都市や領邦に分断された軍事的・政治的状況が19世紀末近くまで続いた。そこでは国民国家が出現するのは1970年代以降である。
ところが、15世紀末から16世紀全体をつうじて、エスパーニャ、イングランド、フランスにこれまでになく強大で有力な王権が成立してきた。
これらの王権は、域内に本拠を置き王室を財政的に支援する都市や商人と結託して、艦隊を組織して世界貿易での覇権争いを演じた。
ことにエスパーニャ王権は、商工業の先進地、北イタリアとネーデルラントへの支配の拡大を達成した。
イタリア諸都市は、容易に有力王権の権威に屈した。
ところが、ネーデルラントでは在地貴族や都市商人貴族、民衆の反乱で、北部諸州は同盟して独立闘争を展開して、ついにユトレヒト同盟という連邦国家を形成する。
この闘争にローマカトリックとプロテスタントとの宗派紛争が絡みついた。
とはいえ、ネーデルラント連邦は、独立の主権を保持する各州、つまりは州政府を牛耳る有力諸都市(アムステルダム、ロッテルダム、ユトレヒト、レイデン、ハーグなど)が各個に軍事力や政治主権を行使していた。艦隊や陸軍もそれぞれの都市が独立の海軍管区を運営していた。
もっとも艦隊が各地の商人や都市が単独で組織運営するという事情は、エスパーニャでもイングランドでも、フランスでも変わりがなかった。正規の艦隊には海賊船(私掠船)も含まれていて、彼らの奇襲戦や掠奪は海軍の作戦の重要な1分野をなしていた。
王権の陸軍も、連隊長( colonel of the regiment )には家臣の貴族や(王室に金を納めた)貴族商人の子弟を任命していたが、連隊の兵員そのものは連隊長が単独で徴募し、武器や資金も連隊長が独自にまかなっていた。兵員のほとんどは傭兵だった。
というわけで、王権国家の軍は、要するに統制の利かない「寄り合い所帯」だった。
それでも、ヨーロッパの主要な戦争は、少なくとも名目上、強大な王権や都市同盟(その意味では国家)が統制し掌握するものとなった。