傭兵と戦争の歴史 目次
傭兵とは何か
貨幣経済と傭兵
  中世ヨーロッパの都市
  宗教都市から商業都市へ
地中海貿易と北イタリア
  都市国家と傭兵
フランクの軍事構造
  封建領主の軍事力
  フランク王国の統治構造
  王国の軍事的再編
  分裂するフランク王国
  フランス遠征と傭兵
中世の終焉 百年戦争
  営利事業としての傭兵
ヨーロッパの軍事革命
  騎士の没落
  フランス王国の形成
  王室財政の限界
都市と遠距離商業
  船舶の武装
  都市と領主
「国家による戦争」へ
  強大な王権の勃興
  市民革命と軍事力の転換
  軍事力と戦争の国家独占
国家の統制力の減退か

◆市民革命と軍事力の転換◆

  こういう軍事構造を転換したのは、17世紀半ばのイングランド革命だった。
  ピュアリタン革命期にオリヴァー・クロムウェルが指揮していた新型軍( New Model Army )は、定期的に俸給が支給される常傭の兵から組織されていた。そして、旗下の全連隊が司令官の指揮に従った。
  とはいえ、イングランドでもその後、長らく傭兵が兵員の主要部分を構成し続けた。しかし、定期的報酬の支払いと教育・思想統制によって、はじめて組織の規律で統制され統一的な作戦意思に従って動く軍隊が組織されたのだ。
  フランスでは、ある程度統一された指揮系統と軍組織ができ上がるのは、フランス革命とナポレオン戦争の時期だった。
  だが、国民的(国家的)統一を成し遂げていないドイツやイタリアに比べれば、はるかにましだった。ただし、プロイセン王国では19世紀の軍政改革をつうじて、ドイツ国家の樹立よりも早くから、ユンカー(農場を直営する小貴族)が主力の規律と戦闘意欲の高い軍隊が組織された。

  革命以前にはフランスでは、王の諮問評議会に参集する資格を持つごく少数の身分、すなわち貴族や商人・都市代表、教会役員だけが国民とされていた。ところが、フランス革命とナポレオン戦争期には、この身分的分離を取り去って「国民=国家市民」というイデオロギー・制度が生み出されたのだ。
  国民とは、国家によって組織された住民集団であって、その国家と対抗する相手(外国)との対抗・敵対・競争を強烈に意識する心性をもつ排外的な政治的制度(イデオロギー)で、それが出現してから後、戦争の性格はすっかり構造転換することになった。

  革命の市民法思想では観念上、フランス領土に生まれて成人した男性は、国家の市民とされた。そういう住民の「政治的共同体」が国民となる。
  その国民の存在と自立性を守るために、政府は市民に徴兵義務を負わせ、その後の反革命同盟諸国家との戦争では、それまでのヨーロッパでは考えられないほど多数の兵員を戦線に送り出すことができた。
  ナポレオン戦争では、ヨーロッパじゅうに派遣・散開したフランス人兵員たちが、革命の成果と「フランス国民の独立」を守るために、戦場となった地方の都市や村落を征服し、食糧やら衣料やら必要な物資を徴発=掠奪して回った。

  それまでは、戦線近くの集落を襲い掠奪をおこなうのは傭兵だけだったが、いまやそれに攻め込んだ外国の「国民」が加わることになった。
  フランス兵によって攻め込まれ収奪を受けた諸地域の住民たちは、国民=国民国家――いまだ萌芽的なものにすぎないが――の軍事的・政治的威力の大きさを経験した。そのため、多数の政治体=領邦に分裂していたドイツでは、統一国家の構築の要求が高まっていくことになった。

  市民革命による軍事力の構造転換の決定的要因は、王室ではなく国家の中央政府が領土全域にわたる課税・徴税の権力と行財政装置を組織したことだった。
  国家の統治階級は、恒常的な課税収入を担保として、軍の編成や戦争にさいしての巨額の費用を支払いを数年以上に分割し繰り延べる償還方式を生み出していったのだ。

◆軍事力と戦争の国家独占◆

  フランスという1つの国民国家が出現・勃興したことを契機に、西ヨーロッパ全域で国民国家形成への動きが繰り広げられる。
  その国家は、それまで多数の都市や地方領邦に分裂していた領土内の住民を政治的に統合し、軍事力を統合し独占するものとされた。つまり、軍事力は国家が独占して平時には「国内の市民社会」から排除し、平和と秩序が保たれるという状態が求められたわけである。
  つまりは、国家が国内の住民を国民的イデオロギーで統合=結束させ、かくして国民という住民集合は一個の独立の政治的・軍事的単位となるのであって、各国家はヨーロッパ(世界経済)のなかで自らの優位の獲得をめぐって互いに競争・対抗し合うことになる。
  このようにして、戦争と軍事力のナショナリゼイションが進むことになった。

  戦争と軍事組織(軍隊・艦隊)を包括的に国家が掌握し統制するのは、国家の中央政府が巨大な官僚装置=行財政装置をつくり上げるようになってからだった。国民国家形成の最先端を走るブリテンでも、早くても19世紀半ばということか。
  戦争はしだいに「国家対国家」のあいだの軍事闘争という形態になっていき、産業革命の進展と結びついて、戦争規模と強度、破壊性はけた違いに大きくなり始めた。

  ついに20世紀のヨーロッパ的規模の戦争は、国家が組織化した総力戦( total-war / Totalkrieg )という相貌を呈するようになった。戦争と軍事力に動員できる資源の国家による組織化・統制は全面化する。
  だが、国家が指導する戦争でも公然と軍を派遣できないところには傭兵が派遣され続けたし、正規軍の周囲でのあれこれの活動に民間の武装戦闘員が加わっていた。
  そして、冷戦期には非公然の政権転覆、政権樹立作戦に、あるいは多国籍企業がCIAと結託する戦略的な経済事業(石油や希少金属)に傭兵や非政府組織の戦闘員が参加し続けた。

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