ところが、最近のアメリカの戦争では、民間の営利企業が国家の戦争の最前線の重要な部分を、政府からの委託契約=金銭的報酬によって公然と引き受けるようになった。
イラク戦争が格好の事例だ。イラクでは民間の警備会社が、軍隊(傭兵団)を組織して首都の防衛や行政機関の軍事的安全保障を直接担っている。
世界最大最強のヘゲモニー国家、合州国が戦争任務の「民間委託」を率先しているのだ。現代の「傭兵復権」( militia とか paramilitary と呼ばれる)ともいうべきか。
シリアやアフガニスタンのように国家の統治機構が崩壊したり国家が未形成の状態のもとでは、「政権派」と過激派軍閥やゲリラ組織との武力闘争が続いている。それは、「国家状態」が形成される以前の状況と見られてきたものだ。
近代国民国家ができ上がってのちの軍事状態として、私的営利目的の民間軍事組織が国家の統治機能の一部分を担うというのは、近代法思想から見ると異様なものといえる。
アメリカでは、個々の市民や市民手段が自衛のために銃砲で武装する権利を合法化されている。銃砲弾薬の市民社会の内での製造・販売・使用が合法化されたレジームであるがゆえに、国外でもそのまま軍事力と仕える武装を組織しやすいという環境にある。
ところで、1930年代から、世界経済のヘゲモニーを掌握しつつある合州国では、のちにアイゼンハウアーが《軍産複合体: military-industrial complex 》と名付けた権力中枢ないし権力ブロックが形成されてきた。
それは、連邦政府(とりわけ大統領府と国防総省)と超巨大工業企業(航空機、自動車、電機、情報電子機器、石油化学、核エネルギー開発など)とが癒合して組織されたブロックだ。
現代アメリカは、軍事技術の開発、軍拡のメカニズムが、やがては経済循環を誘導し経済成長を牽引するという再生産メカニズムが有効に機能してきた社会なのだ。しかも、パクスアメリカーナは、そのダイナミズムが、ドルの循環とともに世界経済全体の循環と成長を誘導する構造をつくり上げてしまった。
もっとも、それは軍拡経済の行き詰まりがそのまま世界経済の停滞や危機を招くという構造でもあるのだが。
してみれば、国家の軍事力と傭兵、国家(政府や公的機関)と私的企業という区分自体が、あまりに皮相的で法学的世界観に縛られた見方にすぎないのかもしれない。
それまでも、造船や電気・機械、港湾建設などの主要産業は、国家の戦争政策と密接不可分に結びついて成長発達してきた。巨大な国家財政の支出=配分は、経済成長(資本蓄積)の最大の誘導要因の1つなのである。
戦争とは国家的な財政資金の投入=再分配をともなうきわめて利潤の大きいビズネスだから、そして戦争の勝者が獲得した利権や権益には、政府が後ろ盾となって民間企業が群がるのだから、つまりは、政府と民間資本はどのみち結託し合うのだから。
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