第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
このヨーロッパ諸国家体系の形成の歴史を、世界市場的文脈における「資本の支配装置」としての都市の存在構造という視座から一瞥してみよう。
世界市場を支配する資本の権力はさまざまな制度を通じて組織されてきた。国民国家が資本の権力の主要な、最強の組織形態になるのは比較的のち――早くても18世紀末のイングランド――になってのことである。
19世紀前半に国民国家が十全にできあがるまでは、国家による勢力圏や権益の保護や保証のシステムは大変弱く、穴だらけで、国境を超えて展開された資本の手の込んだ権謀術数を国家の中央政府からがっちり組織化・規制することはできなかった。18世紀末頃まで、世界市場に張りめぐらされていた資本の権力体系、つまり遠距離貿易や国際金融、商業組織やマニュファクチャーを統制し取り仕切っていたのは、個々の企業家商人やその団体組織の世界的ネットワークであった。
そして、そのネットワークの中心となったのは、大商人たちが牛耳っていた都市であった。つまり、覇権の中心には世界都市(とその取り巻きの諸都市)があり、この中心はそのときどきの世界市場の全域に影響力を及ぼし、枢要な産業および貿易拠点を支配するための情報網や管理組織を張りめぐらしていたのである。
世界市場には諸都市からなる階層序列とそのネットワークが編成されていて、その頂点をなすのがヘゲモニー世界都市である。
それらの都市は、長らく独立の政治体をなし、場合によっては中世晩期の北イタリア諸都市やハンザ同盟諸都市のように汎ヨーロッパ的な通商的・政治的・軍事的ネットワークを組織し、領域諸国家(の形成をめざす君侯たち)を圧倒し、その巨大な通商能力を背景に各地の君侯に接近して独占的特権を買い取り、さらに自らの権益に反するときには君侯の国家形成を妨害することもあった。
北イタリアでは多数の小さな都市国家が勢力平衡の論理で近隣に強大な国家が出現するのを妨げていた。ハンザは、ドイツ地方の有力領主たちが領域国家をつくり拡大しようとしたときに、彼らの領土への同盟諸都市の編合を拒み、妨害したのだった。
このことは、イングランドやフランスの諸都市が国王への臣従を誓い、王権が取り仕切る公的権力体系のなかに位置づけられ、地方領主層の攻撃や国外勢力からの脅威に対する保護を当てにできたのとは、決定的に異なっている。
それにしても、14、15世紀までは世界都市の財力と軍事力は、中途半端な王権に比べて桁外れに強大だった。北イタリア諸都市は地中海とヨーロッパを制圧し、ハンザはデンマルク王国の海軍もスウェーデン王国の陸軍も打ち負かし、北海=バルト海貿易圏での権益を維持できたのだから。
北イタリアやハンザの拠点都市が保有した海軍や行財政組織は、それぞれの商人団体や都市団体が単独で設立・運営指揮した独立の「私的」装置だった。
ところが、やがて16世紀にはヨーロッパ各地で領域国家が続々と出現し、やがて絶対王政を経てついには国民国家が政治的・行政的および経済的権力の結集の枠組みとして成長してきた。諸地域のあいだの通商戦争は、「国家」という鎧で武装された商業資本ブロックあいだの競争というスタイルに転換した。そうなると、国家というよりどころをもたない商業資本と都市は、世界市場での競争から脱落していった。
北イタリアの一群の世界都市はそれぞれに周辺の中小都市と農村を囲い込み、独特の国家(都市国家)群を築き上げたが、17世紀には停滞していった。そしてフランスやエスパーニャ、オーストリアなどの有力な王権の権力闘争に巻き込まれ、チェスの駒のように翻弄されることになった。
ところが他方で、ロンドンやパリのような世界都市はいち早く王権や国民国家に吸収されていった。これらの都市は、国民国家に編合されたがゆえに、やがて世界市場の支配を争う有力な世界都市としての地位――国家の統制を受けながら――を獲得したというべきか。
国家による統合が遅れたドイツやイタリアでも、19世紀末ごろまでには諸都市は自立的な政治体としての性格を失い、国家に組み込まれていった。そして国民国家の支配体系の主要な装置として機能するようになった。
それでも、世界的規模での諸都市のあいだの階層序列と支配=従属のネットワークがなくなることはなかった。このネットワークには国家が、それゆえまた諸国家体系が割り込んだのだ。
諸都市とそこに拠点を置く資本(企業)は、都市間関係を通じて直接的に権力と支配体制を組織する代わりに、国家間関係 interstate relation を媒介にして世界経済の勢力圏と権益をコントロールする方法を選び取ったともいえる。
世界都市は、国内の産業・金融・物流・消費文化の中心地として、また国民的規模での政治的統合の核として機能し、多くの巨大企業の本社や本拠地を集め、国家によって支援された資本の国際的活動を管理するセンターとなっていく。
だがそれもやがて変貌する時期が来た。
20世紀中葉、パクスアメリカーナのもとで資本の世界市場運動を円滑化するさまざまなインフラストラクチャー――IMFや世界銀行、GATTなど――が整備されるとともに、資本にとっては国民国家が限界と感じられるようになり、多国籍企業・世界企業が直接に世界的規模で原料調達=製造=販売ならびに金融資産運用におよぶ再生産構造を組織・管理する時代がやって来た。
そうなると、世界都市が、いや正確に言えば世界都市に配置された多国籍企業の経営本部が全世界に向かって経済活動の指令を発し、世界分業を組織し、世界的規模での資金と物資の動きを管理することになる。
スティーヴン・ハイマーは、多国籍企業の出現によって、先進国主要都市を頂点として低開発国を底辺とする垂直的な世界分業のヒエラルヒーが形成されていると指摘している〔cf. Hymer〕。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
序章
世界経済のなかの資本と国家という視点
第1章
ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第2章
商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節
地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
第2節
地中海世界貿易とイタリア都市国家群
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望