第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

この章の目次

1 私たちの考察の出発点

ⅰ 「純粋培養型資本主義像」を超えて

ⅱ 複合系としての資本主義的世界経済

ⅲ なぜ、いかにしてが生成したのか

2 ヨーロッパという独自の文明空間

3 中世的秩序とはどういうものだったか

ⅰ 中世ヨーロッパの地理的区分

ⅱ 再生産体系とと軍事的環境

ⅲ 政治的単位は微小規模だった

ⅳ 生産の局地性と流通の広域性

4 遠距離交易と支配秩序の変容

ⅰ 商品交換関係の浸透

ⅱ 支配秩序の変動と再編

ⅲ 遠距離貿易とヨーロッパ世界分業

ⅳ 商業資本の権力

ⅴ 地中海貿易と北海=バルト海貿易

ⅵ 権力集中と国家形成への歩み

ⅶ 王室財政と通貨権力

5 秩序変動と諸国家体系への動き

ⅰ 軍備と政府財政

ⅱ 近代的特有の制度としての国境

ⅲ 恒常的な財政危機

ⅳ 身分制議会と宮廷装置

ⅴ 宗教改革と国民的統合

6 絶対王政と重商主義

ⅰ 絶対王政と国民的統合

ⅱ 世界市場、国民的統合と重商主義

ⅲ 近代国家の初期形態としての絶対王政

ⅳ 「市民革命」の歴史的意味づけ

7 世界経済における資本と都市

ⅰ 都市と商業資本

ⅱ 世界市場と都市権力、そして国家

8 諸国家体系と世界経済でのヘゲモニー

ⅰ 商業資本の支配と諸国家体系

ⅱ 世界経済ヘゲモニー

ⅲ 金融資本の支配と諸国家体系

ⅳ 産業(工業)資本の支配と諸国家体系

2 ヨーロッパという独自の文明空間

  この変動は、北西ヨーロッパと地中海世界という2つの極で始まった変化が中部ヨーロッパと東ヨーロッパを巻き込んで広がっていき、結局、それはヨーロッパ世界経済という独特の貿易圏=社会システムを生み出した。このような地理的範囲でひとまとまりになった原因、つまりこのような地理的空間を超えた広がりをもたないシステムができあがった原因は、ヨーロッパの周囲には、イスラム諸王朝やロシア諸王朝などによって障壁がめぐらされていたことにある。
  ということは、こうした外部世界と比べてヨーロッパ内の諸地域はより親和的な(まとまりをもちやすい)関係をもっていたということになる。少なくとも、ゆるやかに結びついた1つの文明圏をなしていたはずだというのは、ウォラーステインだ〔cf. Wallerstein01〕

  チャールズ・ティリーは、中世ヨーロッパは古代ローマ帝国の廃墟のうえに築かれたため、ローマ帝国の残骸が、帝国解体後も中世を経て資本主義が成立する段階まで、ヨーロッパにゆるやかな絆帯をもたらしていたという〔cf. Tilly〕
  ティリーによれば、古代においてローマ帝国に編合されたヨーロッパ諸地域には、言語、宗教、法制度、行政手法、土地保有形態などでの共通性がもたらされたという。つまり、日常生活や行政の技術、土地や財物などへの権限関係を表現し管理するための用語や判断基準は、ラテン語とローマ法的な判断基準にもとづいていた。したがってまた、統治あるいは権力の行使の技術・文書様式についての共通性を基礎づけていた。
  そして、こうした言語的・宗教的・文化的な共通性を背景として、中世ヨーロッパ各地の諸王朝、君侯の間で通婚が行われ、それが各地の支配階級の結びつきや行政・統治慣行の近似性(たとえば宮廷での儀式や外交使節の慣行、統治者としての作法など)を強めたという。こうした要因は、さらに諸国家体系の形成過程にも強い影響を及ぼした〔cf. Tilly〕

  ウォラーステインによれば、ローマ帝国の版図のなかには自立的な社会的分業体系=自立的な再生産圏が多数存在し、それらを帝国という政治システムが統合していたという〔cf. Wallerstein02〕
  つまり、経済的には自己完結した独立の経済圏がいくつも並立していたが、それを帝国体制が単一の政治体に結びつけていたということだ。彼は、世界帝国というシステムをこのように規定している。これと対比して、近代の資本主義世的界経済は経済的に単一のシステムのなかに半ば自立的な政治体としての国家が多数存在している状態だという。
  要するに、世界システムは2種類あって、ひとつは世界帝国、もうひとつは世界経済だというのだ。
  だが、古代に統一的な政治システムが成立したという点について、私たちは大いに疑わしいと考える。古代の運輸技術、人口密度、軍事技術、通信手段の水準をみれば、帝国版図の圏域でどれほど実効的な支配・統合が実現できたかは、はなはだ疑わしい。
  実際には、征服されたり服属したりしてローマに結びつけられた各地の支配者(エリート)の共同主観としての「ローマへの帰属意識」、あるいはローマやその総督府、兵站基地への定期的な経済的剰余の貢納、そして交易関係などによって、ゆるやかに結びついていたというべきだろう。日常的な統制や監督が帝国中央から行われていたわけではない。
  ただし、当時は、こうした結びつきでさえ、破壊するのに相当なコストとリスクがともなっただろう。だから、絆帯とはいっても恒常的な物質的制度といったものではなかった。古代ローマ世界という時空のなかでは、破壊しがたい存在として帝国体制が観念され、その観念が人々の行動や意思決定を制約していたのである。

  たしかに、古代ローマ世界は地中海と西ヨーロッパの大半をおおっていた――地図上では。だが、その版図は、地中海沿海部を離れたヨーロッパ内陸部ではほとんどが住民のいない原生林や草原、荒蕪地であって、人間世界は森林や草原に細く短い楔を打ち込んだような形で、あるいは河川の流域沿いに点のように散在し、都市集落や農村集落を結ぶ貧相な道路がごくまばらに走っていたにすぎない。地中海沿岸の諸都市を除外すれば、1000人という人口は飛び抜けて巨大な住民社会を意味した。
  ローマの支配は、諸都市を拠点としてそれらを軍用道路や航路で結んで組織されていたにすぎない。イタリア半島や地中海沿岸のように都市が近距離で集まっているところや遠距離をおいて散在する植民地の拠点都市の近傍を除けば、あるいは持続的ないしは繰り返し帝国の遠征軍がやってきてつくられる兵站拠点の周囲を除けば、帝国の統治が実体として現れることはなかったはずだ。

  古代の帝国システムの残骸が与えた影響についてS.アミンは、

①帝国時代に形成され相対的に集権化されたローマ教会組織とキリスト教イデオロギーが、多かれ少なかれヨーロッパ全体の宗教生活、文化生活を支配したこと
②帝国時代にヨーロッパ各地と地中海世界にわたって組織された商業ネットワークが、帝国解体後に縮小されながらも、各地に散在する諸都市を拠点として維持され、緩やかに結びついたいくつかの交易網が形づくられ、やがてより大きな貿易圏の形成の条件となったこと、

を指摘している〔cf. Amin02〕
  増田四郎は、①に関して、とりわけ帝国末期から中世初期にかけての開墾開拓と文字文化の担い手が修道教会の修道士たちだったことが、農村および都市の生活制度を多かれ少なかれローマ教会の権威や思想――これにはローマ帝国時代からの法思想や規範意識などが含まれる――によって方向づけることになったという〔cf. 増田〕

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望