第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
こうして、世界経済でのヘゲモニーとは、次のように定式化できる。
まず、世界的規模での蓄積競争のなかで持続的・系統的に、特定の資本グループが自らの利益を他のいかなるグループよりも大きな度合いで実現できるという状態のことである。このような資本グループの権力が、特定の国民国家をつうじて有効に組織化・保証されるかぎりで、それは特殊な国民国家のヘゲモニーとして現れることになる。
このヘゲモニー国家は、国際関係の管理と調整に向けたルールの決定にさいして最優位の指導的役割を担うとともに、世界経済の統合秩序――それはとりもなおさず自国資本のヘゲモニーに適合的なのだが――の維持のために、ときには強制力の行使を含めて、必要な政治的・軍事的役割を果たすことになる。そのための出費もまかなう能力も付随する。
たとえば国家の力量が弱くて国家がこのような役割を担うことができない場合には、ヘゲモニーは特定の資本グループが直接に担うことになるだろう。そういう場合には、国家の統合能力が弱いので、資本の国民的凝集の度合いも低いかもしれない。
たとえば、17世紀のヨーロッパ世界経済では、ネーデルラント商業資本のヘゲモニーは国家によって十全に組織化・統括されたものではなく、ユトレヒト同盟を指導する有力諸都市のグループが、そして最終的にはアムステルダムが担っていた。
とはいえ、短期的にみると、軍事的・政治的単位として諸国家の力関係は総体的かつ相対的なものであって、世界分業での地位によってだけ規定されるわけではない。強権的な統治体制が国内の不満を封じ込めて、経済的資源を軍備や国際戦略に投入し続けられれば、一定期間のあいだはその国家の経済的・財政的能力を超えて諸国家体系のなかで相対的な軍事的・政治的優位を保つことができることもあるだろう。
そのあいだに競争相手が軍事的・政治的力関係で少しでも後退すれば、あるいは威嚇効果に動揺すれば、その状況を利用して世界市場や国際関係での権益を自国に有利に引き寄せることができるだろう〔cf. Krippendorfff〕。
支配階級や国家の指導者が自国および相手の力量や相対的地位について正確に認識するのはまれだから、数年間という短期では、諸国家の戦略的・戦術的駆け引きでのちょっとした成功や失敗の結果で、力関係の変動がありうるということだ。
ところで、世界市場競争で国民国家が前面に出るのは18世紀後半から20世紀後半までのことである。世界で最初に国民国家を成立させたイングランドでさえ、18世紀半ばまでは国家の組織化・統制能力がまだ不充分であって、世界市場での商業資本の運動を統制しきれなかった。
16世紀には貿易と金融、製造業の地理的中心がネーデルラントにあったにもかかわらず、また、バルト海・北海貿易ではハンザが優位を占めていたにもかかわらず、いまだ幼弱な北西ヨーロッパ諸国家を抑えて、北イタリア諸都市の商業資本が、ヨーロッパの貿易および金融体制を制圧していた。
その後、17世紀に世界経済でヘゲモニーを握ったネーデルラントの商業資本は、十分強力な国家の支援体制を獲得していたわけでもなさそうに見える。ハプスブルク家王朝からの独立戦争では、ユトレヒト同盟諸都市の商人を完全に統制できるほどには、ネーデルラント連邦国家は強力ではなかったし、そのヘゲモニーを永続化するために国際関係を操作することもあまりなかった。
ネーデルラントの諸都市と商業資本は国民的結集をさほど強化する必要を感じることもなく、ほどほどに凝集力をもつ政治体(ユトレヒト同盟)のなかで、ほどほどに分権的な統治体制のなかで、世界から流れ込む利潤や利子に満足していた。
ゆえに、18世紀にイングランドは大した妨害を受けることもなく、海洋権力での最優位を固め、工業生産での圧倒的優越を達成し、ネーデルラントの権益を抑え込んで、世界貿易・金融の頂点にのぼりつめることができた。
ここまでの段階(16世紀~19世紀中葉)では、貿易体制の組織化(とそれに付随する植民地支配)をめぐる力関係が、競争での優位を左右した。つまり、資本の世界市場運動で商業資本が支配的な局面と見ることができる。
この段階では、はじめにネーデルラントが、続いてイングランドが覇権を掌握した。そして、ヨーロッパやアメリカでは地域的な政治的・経済的凝集が形成され、いくつかの国家が誕生した。それらの国家は、独立の軍事的単位であり、自らの優位とか勢力均衡のために、ときには単独で、ときにはほかの諸国家と同盟を結びながら、相互に対抗した。
ところで、世界経済でのヘゲモニーと権力闘争は、時代の経過とともに高度化・複雑化していく。
イングランドのヘゲモニーの成立とともに、為替決済における金本位制が浸透し、世界通貨 Weldwährung らしき形態、すなわち世界貿易・世界金融の取引で基軸となる――ポンド・スターリング――通貨が現れる。というのも、おもな新興国民国家の借款や公債の起債や契約、決済をロンドンのシティーの金融機関が取り仕切り、信用=貨幣資本の世界循環の主要な流れをを組織化することになったからだ。
基軸通貨は、国際的決済や信用担保の手段としての金を便宜的、一時的に代位するはたらきをするが、それはまた特殊な国民的通貨が不完全ながら世界貨幣 Weldgeld の機能を果たすという意味で、世界経済における特殊な国民国家のヘゲモニーの通貨的表現でもある。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
序章
世界経済のなかの資本と国家という視点
第1章
ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第2章
商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節
地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
第2節
地中海世界貿易とイタリア都市国家群
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望