第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
こうして、商品貨幣関係の浸透は階級関係を変え、秩序維持のための仕組みを揺るがし、その変革を帰結した。それは、すでに中世的秩序の解体への序曲であった。
このように見ると、世界市場と諸国家体系の形成への歴史的過程には、
①商業資本の権力拡大という文脈
②商業資本の権力と君主制権力との関係という文脈
③領主=農民関係の変容という文脈
が絡み合っていることになる。私たちは、ここでは①と②の文脈を中軸にすえて認識体系を組み立てていくことを試みる。
だが、ここで注意すべき点は、中世的秩序の解体と資本主義の生成を導くような商品流通と貨幣経済の広がりは、まず遠距離貿易から始まったのであって、局地的市場圏から始まったわけではないということである。
たとえば大塚久雄は、「局地的市場⇒国民的市場⇒世界市場」という歴史的発展の論理を提起した〔cf. 大塚〕が、それは実際の市場圏の拡大過程とは一致しない。実際には、ヨーロッパ全域での中世的秩序を解体させ、諸国家体系と諸国民国家の形成をもたらすような流通圏域の拡大は、まずヨーロッパ的規模での遠距離交易として進展したのである。
そして、このような大規模な転換は、各地での権力集中をともない、こうして出現した巨大な権力によって転換がさらに推し進められたのだ。世界市場の形成と諸国家体系の出現。その一方の担い手は商業資本 Handelskapital 、遠距離交易商人 Fernhandler だった。担い手のもう一方は国家形成の担い手である上級領主層たちだった。
ここでは、ひとまず遠距離交易を担った商人に話題を絞ろう。
遠距離商人層は、当時のコミュニケーションの希薄さを利用して、利潤獲得の機会を見つけだした。
地域間の交通・輸送の難しさは距離を追うにしたがって増加する。通信や交通の困難性はそれだけ資源へのアクセスのコストとリスクを高める。したがって、遠隔地間では大きな価格差が生じる。この価格差を利用して遠隔地交易から利潤を吸い上げようとする商人──遠隔地交易は大きなリスクとコストがともなうので、資金、輸送手段や遠隔地の情報を掌握した上層商人に限られていた──の活動によって、ヨーロッパ各地の多様な社会・地域を結びつける広範囲の恒常的な商品流通ネットワークがつくりあげられていった。それは、これまでの統治の構造を揺るがし、権力の再編・変容をもたらした。
すでに述べたように、この商品流通ははじめのうち、支配階級の奢侈欲求を充足する生産物の取引きから始まった。だが、しだいにそれは、各地の農村・都市の住民の生産活動や消費に不可欠の物資──たとえば、穀物、木材、羊毛、鉄、肉、魚など──の取引きにも広がっていく。
各地の住民や産業のあいだで行なわれる物資のやり取り Stoffwechsel (物質代謝)は、遠隔地との商品交換を前提するようになる。広域的な社会的分業システムができあがる。少なくとも13~14世紀には、ヨーロッパ世界市場形成への不可逆的な歩みが始まる。
遠距離貿易商人のコントロールのもとで、遠く離れた地域の生産が相互に結びつけられる。A地域の原料がB地域で素材や部品へと加工され、C地域で完成品としての仕上げが行われるというように、〈原料生産 ⇒ 素材(未完成品または部品)生産 ⇒ 完成品の生産〉という加工・生産過程の非自立的な諸段階としてヨーロッパの各地が結びつけられた。
たとえばイングランドのミッドランド地方で生産された羊毛はイーストアングリアで粗織布に加工され、それは上質な毛織物の原料としてフランデルンに輸出され、そこで縮絨・捺染などの仕上げ加工をされ、ヨーロッパ各地に販売された。
この一連の工程を組織し、買い付けや販売(その個々の局面では各地の地場商人たちが動いていた)の全過程を統制していたのは北イタリアやハンザやフランデルンの商人だった。
こうして、緩やかにではあっても、遠距離商人(商業資本)の利潤追求意図のもとで各地の生産・流通活動が統制されるようになった。つまり、遠距離貿易に従事する商業資本の選別的な活動の結果として、ヨーロッパ各地は社会的分業の諸環として組織された。
ヨーロッパ各地がひとつの世界貿易圏に融合するにつれて、ヨーロッパ的規模での社会的分業システムができ上がっていった。
商業資本のコントロールのもとで組織された分業システムとして特に有名なのが、中部ヨーロッパ(ドイツ地方)の大商人による前貸問屋制手工業
Verlagsystem だ。遠隔地市場へのアクセス権をもつ仲買商人たちが、量目や品質などについて厳格な統制のもとに農民たちに生産用具と材料を前貸しし、農村での副業として羊毛織布の生産を行わせたのだ。
たとえば、ハンザ商人やブリュージュ商人は自らの貿易活動によって、イングランドの羊毛生産および素材としての毛織布生産とネーデルラントでの仕上げ加工を結びつけて羊毛繊維工業を組織し、広くヨーロッパ各地の市場に売りさばいた。この毛織物産業はやがて、ネーデルラント商人の支配下に移り、さらにイングランド王権の成長とともにイングランド土着の商人組合が毛織物生産を取り仕切るようになっていく。
このような遠隔地貿易は、地域間の価格格差を利用して膨大な利潤を獲得することを目的としていたものから、つまり流通関係の希薄さを前提したものから、16世紀には繊維製品のように多かれ少なかれ大衆的消費をめざすものに転換し始めた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー