第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
ヨーロッパ中世社会の秩序は、こうした条件に制約されながら、あるいはそれらを素材としながら形成され、再生産されていった。
では、結局のところ資本主義的世界経済の誕生に結びついた「ヨーロッパ中世的秩序の解体」は、どのように進行したのだろうか。まず何が解体したのか──つまり中世的秩序とはどのようなものであったのかを確認しなければなるまい。
だが、近代世界経済が成立する前のヨーロッパは、緩やかにまとまった文明圏をなしていたとはいえ、単一の社会システムをなしていなかったし、一様な社会構造をなしていたわけではない。
サミール・アミンによれば、中世ヨーロッパのキリスト教世界は、少なくとも、①地中海世界、②北西ヨーロッパと中部ヨーロッパ、③東ヨーロッパという3つの地域に区分されるという〔cf. Amin02〕。それは、だいたい次のような構造であった――ここでは、地理的区分はアミンにしたがうが、構造については私たちの見解に沿って示す。
①地中海ヨーロッパ
イタリア、南フランス、レコンキスタがおよんだイベリア半島、地中海からなる地域。
この地域は、ローマ帝国システムの中核をなした都市が多く、商業網も緊密で、帝国の遺制を直接継承したため、「封建制」は発展しなかった。北イタリアでは都市が農村を囲い込み、南フランスでも散居制村落は領主の強制装置の有効な組織化を受けつけなかった。
そして、イスラムの統治が続いたイベリア半島と他の地域とでは統治体制がかなり異なっていた――イベリアのイスラム諸都市は、ほかのヨーロッパ諸都市に比べてはるかにすぐれた上下水道や教育文化・宗教施設などの運営スタイルを確立していた。
11世紀から15世紀にかけて、北イタリア諸都市には、遠距離貿易を営む大商人たちによる寡頭制支配が見られた。それは都市国家をなし、はなはだ未成熟ながら領域主義的な統治構造、政府財政、陸軍や艦隊、国境を超えた信用・決済システム、海外市場制覇のための軍事力と資源の動員など、諸国家体系の萌芽・ミニチュアを備えていた。これらは、ヨーロッパ世界経済の成立にとって豊富な経験と材料を提供した。
②北西ヨーロッパと中部ヨーロッパ
フランス-ドイツ平原とイングランド南東部を含む地域。
北イタリアと並んで、中世ヨーロッパの製造業・交易・金融の中心地帯が成長し、その豊かな富をめぐって近隣の王権や君侯の間に壮絶な勢力闘争が繰り返されていった。そこでは、領主制を中心とする「封建制」が典型的に発展した。この封建制と呼ばれる秩序のなかから近世および近代諸国家体系が生まれ出たという。
だが、製造業と商業の中心地となった低地地方では、早くから都市と遠距離貿易が発達し、領主と都市の関係も独特だったし、農村も散居制村落で領主の強制装置がはたらきにくかったようだ。
イングランドと北フランスでは大規模な所領経営が発展したが、それは遠距離商業と貨幣経済がある程度浸透してからの領主経営の反応であった。
③東ヨーロッパ
中部ヨーロッパ諸民族の植民活動によって──旧ローマ帝国の版図を超えて──ヨーロッパに編合された地域。
スラブ諸民族との融合・敵対という複雑な関係をもっていた。
ただし、バルト海では植民都市を土台として早くから遠距離交易が発達し、西ヨーロッパと密接な経済的な物質代謝を組織していた。この遠距離貿易を営む商業資本によって支配された分業体系の諸環として東欧の農林業や北欧の漁業や林業、鉱業が成長した。とりわけ、東欧の所領経営の苛酷さ、農民の従属は近代貿易体制ができあがってから強化された。
以上のほかにビザンツ帝国が支配していたバルカン半島南部・内陸部から黒海にいたる地域がある。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー