第1章 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
この章の目次
次いで19世紀が進むにつれて、ことに20世紀になると、重化学工業および機械・電機工業の発展とともに、鉄道や港湾設備、工場プラントなどの大規模な生産手段の輸出が世界貿易の主軸となる。すると、こうした輸出のための投資・金融環境(融資や借款)を組織化する能力によって、世界経済での優位が左右される段階がやってきた。
イングランドではこの傾向は19世紀中頃には始まっていた。しかし、イングランドでは大工業制は十全に本格的に展開することはなかった。イングランドでは「産業革命」は完成されなかったのであって、実際にイングランドが「世界の工場」としての役割を演じる期間はきわめて短かった。
綿工業のように個別経営で動員する資源や貨幣資本の総量が比較的小さな大衆消費財産業は、資本蓄積の主軸になることはなかった。
シティの金融権力と中央政府は、「自由貿易帝国」政策によって本国の産業保護を後回しにし、リスクとコストのこまめな管理を要する工業技術の革新よりも、国際的投資の見返りとして本国に流入する資本収入による資本蓄積、つまり金融利害を優先していた。
その金融的優位には、世界的な貿易・海運サーヴィスからの収益が付随していた。
イングランドは本国での産業成長を誘導するよりも、イングランド優位という現状の世界秩序を維持して、世界市場への信用=貨幣資本の供与、すなわち海外投資によって利潤を集積しようとしていた。そのための軍事支出や植民地支配の費用や商品貿易の赤字を海外からの投資収益で補填し続けようとしていた。
だが他方で、産業技術の優位は失われつつあった。
19世紀後半から20世紀にかけて、ほかの欧米諸国家では、中央政府が産業と貿易の保護政策を打ち立て、産業革命で生まれた工業技術を導入し、銀行や金融グループの後押しをしながら、国内と世界の各地、各産業への貨幣資本の配分・供給を統制することによって、資本蓄積のリズムを速めようとしていた。そのために必要な資金の不足分は、ロンドンの金融資本による起債・借款によって補填された。
イングランドでは本格化しなかった大工業制が合州国とヨーロッパ大陸で達成されていった。
そこでは、貨幣資本(信用)の社会的配分を統制するようになった銀行資本が産業集中を誘導・組織化することで、あるいは企業間競争そのものをつうじて産業集中が進展した結果として、製造業と銀行資本の大規模な融合が生じていた。ルドルフ・ヒルファーディングが言う〈金融資本 Finanzkapital 〉の出現だった〔cf. Hilferding〕。
金融資本は国家政策に圧倒的な影響力をおよぼし、こうして、貨幣資本の運動の統制をつうじて国際競争や対外軍事活動のために国民的規模で資源を持続的に組織化・動員する能力が、国家の優劣を決めるようになった。
とはいえ、イングランドが過去数世紀のあいだに世界各地に扶植した利権と金融投資のネットワークは圧倒的な優位を保っていて、シティは世界の余剰資金の大半を引きつけていた。北アメリカ(カナダ)やオーストラレイシア、ラテンアメリカでの鉄道・港湾や商業施設などのインフラストラクチャーを建設するための資金は、ロンドンでの起債やブリテンの銀行の融資によって調達されていた。
もっとも、造船と鉄鋼の一部を除いては、こうした大規模建設のための資材はヨーロッパのほかの諸国から調達されたから、イングランドは自らの金融的優位をつうじて、そのライヴァルとなる諸国家の工業成長を導いてしまうことになった。
ブリテンの世界金融は、自国内の産業資本=製造業を育成することを後回しにしたために、自らの世界市場での最優位を掘り崩すトレンドを促進したようだ。
これに対して、国家装置をつうじて銀行資本と製造業資本との国民的凝集が強固に組織化されていたのは、ドイツと合州国だった。
世界経済における資本循環の組織化では、こうして商業資本から金融資本(銀行資本)への主導権の移行が見られた。それとともに、銀行資本と重化学工業や電機・機械工業との結びつきをどれほど強固に組織化できるかが、世界市場競争でものをいう状況になった。
このような文脈において、資本の世界市場運動を支配していたのは金融資本(金融セクター)だった。
このような状況のなかで、イングランドの工業生産力での劣位は明らかになり、いまだ世界金融でのその最優位は動かないとはいえ、そのヘゲモニーは危機に陥った。
中核諸国民は、従来の商品貿易という基層の上部構造として、世界的規模でのインフラストラクチャーやプラント建設のための資本輸出を展開していった。だが、20世紀に入ると、イングランドの後退で明白な力の空白が生じ、諸国民のあいだで海外市場の囲い込み競争が熾烈化するとともに、貨幣資本の国際的移動を規制する障壁は高められていった。
それでも、ブリテンの最優位のもとでの世界秩序・世界平和が保たれている限り、言い換えれば、ブリテン資本がライヴァル国民国家の政治的・軍事的障壁を超えて――機械設備・プラント中心の――商品貿易と金融取引を組織できる限り、ブリテンの優越は維持できそうだった。しかし、戦争が発生して諸国家の政治的・軍事的障壁がいきなり強化されれば、ブリテンの金融的優位は揺らぐことは避けられなくなった。
おりしもアメリカ合州国とドイツが覇権争奪の舞台に登場してきた。欧米諸国民のあいだの力関係の変動とともに、諸国家のあいだで世界市場の再分割・争奪が熾烈化していった。諸国民国家は独立の軍事的単位として相互に対抗し、移ろいやすい軍事同盟を形成しながら、世界市場での優位を争っていたのだ。
ヨーロッパ諸国家は、植民地や属領を排他的な植民地圏として囲い込むようになった。植民地獲得競争にあとから参入したドイツやスウェーデン、イタリア、日本、合州国などの諸国家が近隣地帯や周縁地域をめぐる勢力争いに割り込み、再分割闘争が激しくなっていった。
中核諸国家あるいは中核に割り込もうとする諸国家の武力衝突は、周縁地域での戦争からエスカレートし、ついに中核地域ヨーロッパそのものを主戦場とする大規模な戦争が起きた(第1次世界戦争)。
戦争後のヴェルサイユ体制は、中央・東ヨーロッパの民族と国境の区分に紛糾要因を残し、敗戦国に報復的賠償を課して敵対心理をかもす土壌をつくった。世界経済の景気循環の危機がくれば、排他的ナショナリズムが台頭し、諸国家の軍事的敵対が熾烈化するのは避けられなかった。
アメリカはその圧倒的な工業生産力と経済的優位にもかかわらず、世界秩序でリーダーシップを揮うことを拒み、他方で国内の工業生産力を回復したドイツは、食糧・原料の供給地、製品の販売市場、資本輸出市場としての中欧・東欧と密接な関係をつくりあげていった。
ロシアでは、ボルシェヴィキ率いる革命政権が国家装置による計画化=包括的介入システムを形成しながら、独特の工業建設を進めていた。アジア、アフリカ、ラテンアメリカでは植民地や属領、委任統治領では民族解放・独立の運動が始まっていた。
1920年代末、農業および工業での過剰生産による不況は世界金融恐慌を引き起こした。列強諸国家は国際的規模での閉鎖的な自立的経済圏 autarky を組織しようとし、とりわけ国民的通貨による金融・貿易圏(ポンドスターリング圏やドル圏、マルク圏など)として世界市場を分断し、厳格な軍事的ならびに金融的障壁を設けるようになっていった。
現状の勢力均衡に不満を抱くドイツと日本は、国民的資源の統制と総動員体制を敷き、国家装置の経済への全面的な介入を組織化しながら、隣接地域への侵略を始めた。戦争は長期化、広域化し、やがて主要諸国家ブロックどうしの全面戦争になり、ヨーロッパと日本の工業地帯や補給体系の包括的破壊を帰結した(第2次世界戦争)。
国家によって組織された残虐な全面殺戮 holocaust や genocide があった。
だが、この世界戦争の結果、諸国家体系の編成に構造的な転換が起きた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
序章
世界経済のなかの資本と国家という視点
第1章
ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第2章
商業資本=都市の成長と支配秩序
第1節
地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆
第2節
地中海世界貿易とイタリア都市国家群
第3節
西ヨーロッパの都市形成と領主制
第4節
バルト海貿易とハンザ都市同盟
第5節
商業経営の洗練と商人の都市支配
第6節
ドイツの政治的分裂と諸都市
第7節
世界貿易、世界都市と政治秩序の変動
補章-3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
補章-4
ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第1節
ブリュージュの勃興と戦乱
第2節
アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー
第4章
イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
第5章
イングランド国民国家の形成
第6章
フランスの王権と国家形成
第7章
スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
第8章
中間総括と展望