1960年のロンドン。
ウェストミンスター議会やダウニング街が見通せるメインストリートのビルディング街に、ロンドン・ダイアモンド商会( London Diamond
Corporation :以下「ロンディ( Lon-Di )」)はあった。
冬の早朝、まだビズネス街に出勤者の姿はない。人気のない街路を端麗な姿の女性が歩いてくる。ローラ・クィンだ。アメリカ出身の女性で、その当時38歳。オクスフォードを優等で卒業してロンディに女性として――しかも管理職候補として――はじめて採用された。
それから16年間、毎日、事務所のオフィサー(候補)としては誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く退出した。早朝から深夜まで仕事に没頭した。
頭脳明晰、容姿端麗。もっと若い頃は誰もがローラに見とれた。
だが、彼女は恋愛にも結婚にも目を向けずに仕事一筋でやってきた。そして、渉外部門では誰よりも高い実績を残してきた。ところが、彼女はマニジャー(日本企業でいう課長クラス)の地位に就いたあとは、まったく昇進・昇格はなかった。業績で彼女よりも劣る男たちが、何人も彼女を追い抜いて出世の階段を昇っていった。
当時の女性の「人生の目標」「楽しみ」「めざすべき幸福」をすべて犠牲にして精励刻苦してきた見返りとしては、あまりに貧弱な結果だった。だが、そもそも、この世界には女性のオフィサーは彼女以外には存在しないのだ。マニジャーの地位に就いただけでも、奇跡に近かった。
そもそも、エリート家門の家系的つながりやら人脈やらがなければ相手にされないこの会社に、学歴や能力をそれなりに買われて彼女(つまり女性)が――クラークではなくオフィサー候補として――採用になったこと自体が、奇跡に近かったのだ。
出身家系やら家柄、人脈こそがエリート企業の人事採用基準のなかでも最優先順位にあった時代なのだ。
そういうこの業界の人事に関して彼女はまったくもって不満だった。
ロンディ――セシル・ローズ創業のデビアーズという実在のを仮託した会社――は、当時世界に1224もの子会社や関連会社を保有していた世界企業だった。そのなかで、彼女は最初の支店長以上の管理職に就任しようと狙っていた。そういう自己目標のための課題やら人事への不満やらを、彼女は小さな(名刺大の)カードに書いて引き出しにしまっていた。ときおり挫けそうになる自分を督励し、自己抑制し、自己管理、目標管理をするために。
だが、今回の人事でも彼女は昇進がなかった。ところが一方、能力や実績で彼女よりもずっと劣る男性が、アフリカのある地方の支店長に配属されることになった。
けれども社会史的に見れば、彼女は、ロンドンの企業社会や職業のヒエラルヒーでは、飛び抜けて恵まれている地位にあった。譬えれば、氷山の海面よりも上に浮かんだ部分に位置したからだ。水面下には、巨大な人口――つまり庶民――がひしめき合っていた。彼女はエリートを補佐する地位にいた。参謀本部の「士官クラス」に。
たとえば、ロンディでも、オフィサーの下には、その何倍もの人員のオフィスクラーク――平の事務員、庶務員)や警備要員、そしてジャニター(雑役係、補助員など)たち――がいた。彼らは、朝9時から午後4時までというオフィサーの勤務時間とは別に、早朝あるいは深夜から8時間、あるいはそれ以上の時間の勤務を交替でおこなっていた。オフィサーとクラーク、ジャニターでは報酬・賃金はまさに桁が違っていた。
だから毎朝、ローラがオフィサーとしては誰よりも早く会社のゲイトに到着したときに、そこには何人もの警備要員やクラーク、ジャニターたちがたむろしていた。あるいは、真夜中の勤務を終えた清掃係が、朝シフトの彼らと入れ代わりに、扉から出て家路につくのだ。
待遇や給与などの労働条件における歴然とした身分差、階級差、そして明白に可視化された「これ見よがし」の権力のヒエラルヒー(序列の上下)、それがデモクラシー社会とされるイングランドの経済世界の実情だったのだ。このような格差の如実な見せつけこそが、当時は社会秩序維持とか治安のための最良の方法と考えられていたのだ。