ところでミルトンたちは、ロンディの経営危機に関する情報のリークの経路をふさいだつもりだった。ところが、イーヴニングニュウズ以外の弱小メディアは、直接にはミルトン家門やロンディ・コンツェルンの影響下にはない。だが、彼らにも情報リークは到達した。
弱小メディアにとっては、巨大企業のスキャンダル情報は、販売部数を伸ばす絶好の機会だ。ブリテンを代表する巨大企業の経営破綻の危機は、それこそ大衆が飛びつきそうなトピックだからだ。
そこで、弱小メディアの記者やカメラマンたちが、腐肉にたかる蠅のようにロンディの本社前に群がってきた。
「貴社の金庫室のダイアモンド原石全部が盗み出されたという情報は本当ですか。取材とコメントを求めます」と。被害者の傷口に塩や毒をぬり込むような、あざとい取材攻勢だ。
この騒動は、ただちに善後策を検討していた重役会に報告された。
ミルトンたちは、ただちに会社の玄関扉をシャットアウトして、記者(そして強請り屋と大差ないメディア・ゴロ)たちを締め出した。虚栄の輝きを売り物にするダイアモンド商社にとって、イメイジの棄損は大きなダメイジになる。
「ノーコメント。当社が、お前らごとき下賤の蠅どもに、まともな返答を返す必要はない!」というわけだ。腐肉と蠅、どっちもどっちである。
それにしても、ダイア原石の強奪やシンクレアとの力の駆け引き、保険業界への強引な要求、そこに来てマスメディアの取材攻勢……。商業・金融資本の蓄積欲望と権力欲を一身に体現しているミルトン卿とはいえ、もはや70代で、しかも美食漢で肥満、血圧は高く、血中コレステロール値は高い、スーパーメタボリックのみごとな体型。
心配や怒りの精神状態がずっと持続していたところに、マスメディアの取材攻勢。ストレスと興奮は頂点に達していた。しかも、心を落ち着けようと、このところずっと高級コニャックを大量に飲み続けていた。高級葉巻も吸い続けていた。血圧は上昇し続け、血管は硬化していた。
ついに脳血管は破裂した。帰宅しようとして出た重役用エントランスの階段から発作のため転げ落ちて昏睡に陥り、そのまま他界した。だが、強欲で第一線を引退することを拒否してきたこの爺さん、地獄への旅出の道連れを、抜け目なくちゃんと引き連れていた。
ロンディの重役陣は、ミルトン卿亡き後のトップに彼の息子のオリヴァーを据えて、当面の危機対策を決定した。会議にはロイズ保険連合の会長も連座していた。
シンクレアと保険連合はロンディに1億ポンドの損害補償金を支払い、これをダイア原石の返還のための身代金に充てることを決定した。
当然、シンクレアの全財産は没収されることになった。しかも、彼は保険引受人の守秘義務を破り、顧客の企業の内部経営情報を漏洩したことから、保険業界からの追放と長期の禁固刑が待っていた。
シンクレアは重い足取りで帰宅すると自室に引きこもり、机の引き出しから拳銃を取り出し自分の頭部を撃ち抜いた。
「人を呪わば穴二つ」の謂諺どおりの結末だった。
成り上がり者は、築き上げた資産や権力を維持するためには「一匹狼」であり続けることはできない。エリートサークルの扉をこじ開けて、彼らに取り入りへつらい、彼らの行動規範を模倣しなければならない。教養や文化、洗練された物腰、センスを身につけなければならない。
そうしながらエリートサークルの椅子にいくつも空きが出るまで待ち続けるのだ。飛び抜けて富裕になった者以外、だいたい自分の子の世代まで待つことになるらしい。要するに、生まれ持って大金持ちの御曹司の風貌が身につく世代まで待たされるのだ。
そして、エリートサークルに媚を売り尻尾を振り続けなければ、エリートの集合的権力によって押し潰される。とはいえ、センスの良さや高い教養を身に着けることに――自己の成長として――喜びを感じる成り上がり者だったら、エリートを模倣しながら待ち続けるだろう。
ところが今、シンクレアは尾を振るどころか、「財界の虎の尾」を踏みつけてしまったのだ。
シンクレアは所詮は独りよがりの成り上がり者にすぎない。この結末を、チェスボード上の駒の動きのように予測していた者がいた。実力以上に無理をして見栄を張り、ロンディのリスク補償のアンダーテイカーになったシンクレアは、目先の利益にしがみついて、本物のエリートの怒りを買い破滅するだろうと。ホッブズ氏だった。
シンクレアの自殺はホッブズ氏の真の目論見だったのだ。