多くの戦史家の研究や史料によれば、ヒトラーに指導されたドイツ軍のヨーロッパへの攻撃と侵略は、「電撃戦(Blitzkrieg)」です。ナチス自身がそう呼んでいました。
もともとは緒戦での圧倒的優位を確保することで、ブリテンとの講和にもちこむことを戦略目標としていたというわけです。
つまり、短期決戦をめざしていたのです。稲妻のように素早い進撃と征服をめざしていました。
大博打に打って出たわけです。
たしかにドイツ軍はまたたくまにネーデルラント、ベルギー、フランスを占領し、ヨーロッパ大陸での圧倒的な軍事的優位を確保しました。しかし、ブリテン首相チャーチルは、ヒトラーとの講和交渉に見向きもしません。
ブリテンは、つい先頃まで世界覇権を握り、ヨーロッパ各地と全世界に権益のネットワークを敷設していました。
ドイツは、この権益のネットワークの大事な部分を破壊してしまったのです。「虎の尾を踏んだ」わけです。講和なんかとんでもない、というわけです。
このとき、ヒトラーもブリテン政府もともに、とんでもない戦況の読み違いをしていたのです。ことにブリテン政府は、ナチスドイツの軍事力をソヴィエト連邦への対抗力として利用しようという思い上がった甘い考えを続けてきた結果、ほぼ無抵抗でドイツ軍の西ヨーロッパ侵攻を許してしまったようです。
ところが、ドイツ軍が占領支配した地域の諸国民、フランス、ベルギー、ポーランド、チェコスロヴァキアなどは、国外に臨時政府を組織し、ナチスの征服を非難し、ナチスの後ろ盾で成立した「国内政権」の正統性を全面的に否定しました。
ラディオや映画、無線電信、電話、新聞などマスメディアが発達したヨーロッパにあっては、従来の戦争のように首都や国土を制圧しても、戦争や征服は決着しなくなっていたのです。
国外に逃れた指導者たちによって、亡命臨時政府がつくりあげられました。それが正統的に国家=国民の主権を代表する政権となり、統治情報の発信源として、国内の住民や国際社会に向かって、ドイツ軍の征服と支配を非難するメッセイジを送り続けるようになったのです。
こうして、ナチスへの抵抗や反乱を組織化・指導する拠点は、大陸内部はもちろん大陸の外部にも拡散してしまったわけです。
それまでヒトラーは、占領・征服した領土の政権を奪取し、支配を貫徹させ、民衆の意識を操作あるいは統制するためにマスメディアを利用しつくしてきました。
ところがマスメディアは、こんどはナチスの占領支配に敵対し、その正統性や優位を掘り崩すための手段として立ち現れてきたのです。
ヒトラーとナチスは、自らが攻撃手段として用いていてきた手段が、相手の手の内で自分に対する攻撃手段となるときの防備を考えていませんでした。