1972年9月、オリンピックが開催されていたドイツのミュンヘンで、パレスティナ過激派の集団がオリンピック選手村のイスラエル選手団を襲撃した。テロリスト集団は人質とともに飛行機での逃亡をはかったが、ドイツの武装警察隊に包囲され、多数の死傷者を出す悲惨な結果となった。
事件後、イスラエル政府は、このテロ事件を計画し指導したパレスティナ過激派組織の幹部を殺戮するという報復作戦を開始した。秘密工作員のティームを組織し、世界各地に派遣することになった。
アヴナー率いるティームによる暗殺作戦が始まった。彼らは標的となる人物の身元や所在を確認追跡して、一人また一人と残酷に殺戮していった。やがて、パレスティナ・ゲリラ側は、彼らの陣営の要人たちの一連の暗殺がモサドの秘密作戦だと気がついた。
激しい攻防と報復合戦が繰り広げられていった。アヴナーの仲間も殺され、殺し合いは熾烈さを極めていった。アヴナーは作戦の正当性に懐疑を抱き始めた。「われわれ自身がテロリストになってしまい、かつては最も忌むべきものとされた存在に自ら堕してしまったもではないか」と。
暴力と憎悪の自己増殖が展開していった。
アヴナーたちの報復作戦は、だんだん当初の目的や自己抑制から逸脱していった。殺戮はより多くの敵を新たにつくり出すことになった。ティームの仲間も殺され、その復讐にも手を広げた。
だが、あまりに凄絶な殺し合いのなかで、ティームのメンバーにも脱落者が出始めた。アヴナー自身、この作戦の意味――泥沼化する帰結――に疑いを深めていった。そして、ついに戦線を離脱した。アヴナーは、それまで忠誠を誓ってきた祖国、イスラエル国家への不信感と懐疑を深めた。テロに対してテロで報いるという作戦を市民に強いる国家とは何か。怪物か?
この映画は私たちに鋭く問題を提起する。究極的に軍事力によって――周囲の民族を抑圧圧迫することで――その存立基盤を保とうとする国家・国民とは何か、と。市民たちに兵士の役割と暴力の行使・戦闘を強制し、殺戮戦に駆り立てる国家とは何か、と。