さて、ドルク皇帝は、国土や住民を守るためにトルメキアを迎え撃つというのではなく、見境のない破壊や殺戮もいとわず、大陸全土を支配しようと策謀しているようです。
トルメキア軍が侵入した土地を、ドルク属国の民衆もろともに破壊殲滅し、なおかつ巨神兵を奪って操ってトルメキアを滅ぼし、全世界をわが手に収めようとしています。
その結果、どれほど国土が荒廃して腐海の底に沈もうが一向にかまわないというのです。というよりも、この世界を憎み侮蔑し、滅ぼそうとしているようなのです。
そのために、帝国の僧会(上級僧侶の組織)を使って手に入れた旧人類のバイオテクノロジーを利用して、腐海の菌類よりも毒性の強い瘴気を発する菌類(粘菌)を生み出し、それをトルメキア軍が入り込んだドルク領土に撒き散らそうと謀りました。
つまり、この大陸のほとんど全域を腐海の森に沈めようとしているのです。自ら支配する帝国の住民とともにトルメキアを滅ぼそうとしているのです。
一見したところ、無意味に見える企図です。
それというのも、彼は、旧人類の墓所を暴き、取り出した科学技術情報・知識を解読しかけていて、その科学技術で、腐海をも一掃して、いったん滅ぼした世界の生物相をおのれの支配に都合よく組み換えようともくろんでいたからです。
これを私は、「生き物皆殺し、大改造計画」と呼ぶことにします。
この物語はフィクションですが、私たち人類の現実の姿を反映しています。
そこで、以上の文脈を読み取るとき、私は思うのです。
人類の知性や精神とは何だろうか、と。
生き物であるからには、自己中心性をもって生き延びようとすること、つまり生存競争、生存闘争は避けられないものです。
しかし、知性や精神をより攻撃的、より自己中心的に活用して、さらに研ぎ澄ませて体系化し、それを駆使して、ほかの人びとやほかの生物を虐げ滅ぼしても、自分や自分が属する集団の支配や最優位を得ようとする傾向は、人類の本能なのだろうか、と。
しかも、むしろ富や権力を得た者ほど、そういう傾向に陥りやすい。とういうのも、力や文明の手段・装置を利己目的のために駆使したがるから…。
だとすると、人類は「最悪の生物種」ではないか、と。
ナウシカの原作には、以上の私の評価と同じような冷徹な人類への批判は込められているようです。トルメキアの王族の思考スタイルや行動スタイル、ドルクの皇帝や僧侶たちの姿は、いわば現代世界の指導者たちの姿が重なるように見えます。