ナウシカは、この説得の論理に強い嫌悪と反発を覚えます。そして、この説得を撥ねつけます。
かつて、この説得を受け入れた人物がいました。
彼は、人一倍感受性が強く賢く、民衆を救済したいと願う少年でした。彼は、すぐれた超能力を備えていました。彼は革命家になろうとしたのです。
墓所の文明技術の一部を携えてドルクの大地に出ていき、民衆を支配し、抑圧・収奪する専制的な支配者や皇帝を倒すために、戦い抜きました。そして、権力を奪い取り、支配者となり、帝位を簒奪しました。
少年は、支配者になれば、想いのまま権力を動かして、それまでの圧制やゆがんだ秩序を組み換え、民衆の貧困をなくし、新しい人類共同体を形成できる、という理想に燃えていたのです。
しかし、この少年は、果てしない戦いのなかで、権力闘争の過程で、権力の獲得と支配権の拡大、権力の行使を自己目的にしてしまいます。やがて革命闘争には勝利しました。
ところが支配者になると、新しい生き方をすぐに理解できない民衆、自分の思想と行動に同調しない人びとに侮蔑や反感を抱くようになります。
結局のところ、「しょせん彼らは支配や指導を受容する下等な人間にすぎない」という考えの虜になってしまいました。
民衆を抑圧的に支配し搾取していた以前の権力者・支配階級と同じような思想・価値観に呪縛されてしまったのです。権力闘争に勝ち抜き支配者になっていくプロセスとはそういうものなのでしょうか。今から5世紀も前に、マキャヴェッリは著書『君主というもの』で、たいていの場合、不可避的に、権力者=君侯になっていく過程はそういうものになってしまうと述べています。
そのあげく、自らの超能力と旧人類の文明を駆使して、全地上の環境と生物種を改造しようという衝動にとらわれてしまいました。
その結果、ドルクの大半の土地を腐海に飲み込ませ、瘴気の底に沈めてしまいました。
そうです、理想に燃えていた少年とは、死んだドルク皇帝(弟)なのです。
これは、現実の人類史でほとんど革命家や革命勢力がたどた道です。革命のために革命エリートしての自分たちの組織や権力の拡大を自己目的化し、政権を握ったあとでも民衆を見下して権力を追求し続けるという・・・。その結果、でき上がる社会は、かつての理想とは正反対のものになる・・・。
人類史では、理想に燃えた革命家がやがて権力の亡者になり、残酷な抑圧者、独裁者になっていく姿が何度も見られました。
「民衆よりも高い視点に立って変革を志す」という考え方には、恐ろしい陥穽がひそんでいるのかもしれまんせん。
それに対してナウシカは、今生きている生物たちとともに生きることを願っているのです。それが滅びのリスクがあるとしても。どんなに傷ついても、死滅の危険がたちはだかっていても、自分たちで生き延びる条件を手に入れていくのだ、と。
旧人類があらかじめ思い描いたような道筋を、ただなぞり、盲目的に生き続けるよりも、自分たちの運命は自分たちで選び取るのだ、と。
「造物主」が「神」だとすれば、これは神に対して生き物が反乱を起こし、自立しようとする姿にも見えます。
結局、ナウシカと仲間たちはシュワの墓所を破壊します。
皮肉なことに、この奮闘には、シュワの墓所の「宝」を奪おうと進撃してきたトルメキア王も加わります。
彼もまた、権力闘争を自己目的化したあげくに本来の理想を見失い、冷酷なニヒリストになってしまったのでしょう。しかし、その虚しさに気がついたのかもしれません。
最後の一撃は、墓所の攻撃を受けて傷つき、衰弱して死滅寸前の巨神兵が吐き出した火炎でした。