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B: モーツァルトの時代には、まだまだ身分制度と身分格差が歴然としていて、音楽家は貴族や王室に雇われた従者にすぎなかったんだ。とはいえ、音楽家として「成功して名を成せば」、宮廷でそこそこの地位と特権を享受することができた。
そうなると、平民が社会的地位を上昇するためのルートとなり、才能ある多くの者たちが殺到する競争舞台ともなったんだな。
けれども、君侯・貴族にとって、音楽家はしょせん自分の権威や権力を誇示し装飾するための道具にすぎないし、ある種の召使いでしかない。権力者は好き勝手な要求や見当違いの評価や言い分を押し通そうとしがちになる。
そうなると、音楽家としては、はなはだ面白くないが、雇い主=パトロン=スポンサーには逆らえない。少なくとも外見では、調子を合わせて「しっぽを振る」しかない。身分格差を心中で嘆きながら。
一方で専門家としてのプライドもある。
アマデウス・モーツァルトは、仕えていたザルツブルク大司教の音楽に対する理解の仕方や自分の扱いに不満を抱いてザルツブルクから出てあちこち旅行し、結局ウィーンに居ついて自由に作曲し、自分の力を試そうとしたらしいよ。
そんな状況は、20世紀初頭のアメリカで、白人社会の娯楽として受け入れられ始めたジャズの黒人演奏家たちと共通する部分があるんじゃないかな。
それに、音楽家たちは、逆に「下賤な芸人」として、楽団の演奏をかなり自由にやっていただろうし。
だから、楽団の演奏は、20世紀のジャムセッションのような独奏家どうしの自由即興演奏のようなものになっていたのではないかな。
A: そうだね。作曲家の構想や意図を楽譜にきっちりと書き込む作風が支配的になったのは、19世紀半ば以降のドイツでのことだ。その時代には、曲を独自の作品=創作として保存するために精密な楽譜をつくり、音楽家が音楽出版社と契約して出版するのが、まあ普通というか流行になったらしい。20世紀半ば以降、音楽業界がLPやEPのレコードを刊行して稼ぐようになったように。
18世紀中は、むしろ楽譜として残っている曲の方が例外的だったといいます。というのも、パトロンやスポンサーが夜会や晩餐、儀典などのために、そのつど作曲させ演奏させ、通常は、そのあと再演するすることはなかったようです。
「その場限りの使い捨て音楽」だったんですよね。
楽曲が楽譜として保存・蓄積されないから、楽団や演奏家が過去の優れた作品を選んで演奏するということもなかった。
いきおい、楽団や演奏家のパフォーマンスも即興的になる度合いが多くなるということでしょうか。その分、自由度、自由裁量の余地、あるいはその場の雰囲気で流すというスタイルが成り立つ余地が大きかったでしょう。