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B: ところで、物語のなかで、R☆Sオケの初公演までの練習期間に、ソリストをめざす人たちがコンクールのためにオケの練習を後回しにするようになって、峰君や千秋と対立する場面がありましたね。
あれって、自己の音楽表現を最優先にするということですよね。そうなると、オケでのアンサンブル重視の練習を軽視するというか、プライオリティを下げることになるわけでしょう。
C: ソリスト志向メンバーがコンクール期間中にそういう傾向になった結果、コンクール終了後の「ブラ1」の練習で千秋から厳しく叱責される羽目になるますね。ということは、ハーモニー=アンサンブルよりも、自分(だけ)がうまく演奏すること、自分の楽器演奏を突出させることに快感を覚えるようになっている態度を、千秋が批判するわけですね。
「お前ら、それでもうまく弾いているつもりか! 周りの音をちゃんと聴け、合わせろっ!」なんて言われてね。
A: あの場面はすごくうまく設定されていますね。
ソロとアンサンブル(ハーモニー)との違いというか対立を、オケメンバーの心性・態度の差、違いとして巧妙に描き出している。
各パート(楽器)がそれぞれ突出するように演奏だけでは、ハーモニーーアンサンブルとしては完成しないんだ、ということをエピソードとして描いたんだよね。うまいなあ。
C: 「アンサンブル( ensemble )」って、多様な部分を統一的な全体に総括・統合する、組み立てるという意味ですね。
もちろん、各パートが突出することで、成り立つ全体もあるだろうが。でも、各メンバーが全体への調和や統合、そしてそういう全体構想のなかでの自己の枠割とか相互補完性を強く意識しないと、うまくいかないものです。
そして、オーケストラ(のアンサンブル)というのは、「生きもの」だって言われますよね。そのとき、そのときで、違うものができ上がっていくというように。
A: そういえば、どんな楽器でも、事前に調律しておいても、会場に行って演奏してみると、そのときの気圧や温度、湿度、会場内の状況によって、楽器が実際に奏でる音は微妙に異なるらしい。各楽器の演奏者たちは、自分の楽器の音や響きを瞬時に把握し、かつまたほかの楽器のそのときの音響をつかんで、その微妙な誤差を察知して、全体が1つのハーモニーとして溶け合うように演奏するらしいよ。
つまり、そのとき、その場所によって、微妙な誤差が出るんだが、その誤差に合わせた調整というか調和を実現するらしい。だから、そのとき、その場所ごとに微妙に違うアンサンブル=演奏ができあがるんだ。
まさにオケは生きもの、いや「なまもの」なんだな。
C: 熟達したオケメンバーたちは、その場、そのときの微妙な差異を楽しんでいるといいます。その差異に応じたハーモニー=アンサンブルを、そのとき、その場で構築する楽しさ、挑戦、いや調和への努力の面白さを追求する…
B: 門外漢として言わせてもらえば、フォークソングだって、ソロよりもアンサンブルの方がずっといい!
ブラザースフォアの作品は説得力・訴求力がありますよね。クラシックでは、音楽の重厚性や構築性、そして曲の世界観を表現するためには、アンサンブルの方が断然いいと思う。
オペラのソプラノやテノールの独唱だって、伴奏としてのオケのアンサンブルがあるから、ものすごく奥行きが出るんじゃないかな。もちろん、独唱の迫力や存在感、個性の突出も素晴らしいけど。でも、その独唱は、結局、オペラの音楽物語全体の特殊な一部分、部品ですよね。
どんなにまばゆく輝いても、部品は部品。むしろ、全体のなかでこそ輝きを増すのです。