それでもやがてヴィトゥスは、まだまだ頑是ない幼児であるがゆえに、母親の頑とした方針にしたがってピアノの英才教育を受け入れることになった。近くの都市のコンセルヴァトワールに通わせることにした。
フランスやスイス、ベルギーでは、一般に「英才教育」のための特別教育機関があちらこちらにあって「コンセルヴァトワール――保護育成機関・促成栽培施設――」と呼ばれている。
結局、キンダーガルテンには行かなくなり、ヘレンが自宅で保育と教育をおこなったようだ。そして、その後、ヴィトゥスは、日本の小学校・中学校に当たる課程を通常の半分の年月で修了して11歳で高校の課程に進学した。翌年には、高校課程の最上級学年に編入された。
というわけで、ヴィトゥスは知能が高すぎるために、普通の子どものように同じ年齢の子どもたちと教育や遊びの場を共有することなく、12歳になったわけだ。
ピアノの英才教育は続けられていたが、もはやこれまでのコンセルヴァトワールの教授の指導では、ヴィトゥスをより高いレヴェルに育成することが期待できないようになっていた。
というわけで、ヴィトゥスにとって、知的ならびに音楽の教育環境で分岐点に差しかかりつつあった。
「普通の子ども」らしい生活が許されないヴィトゥスにとって、山の麓にある祖父の家に遊びに行くことだけが「息抜き」だった。祖父は相変わらず、自宅の工房で家具などの木工製作をやっていた。
ある日、祖父とヴィトゥスは木製の骨組みの飛行機を作ることにした。ピアノの英才教育のために日頃、自宅では刃物を持つことを許されないヴィトゥスは、鋸を曳くのを楽しみにしていた。ところが、折悪しく、母親のヘレンがやってきたために、鋸を取り上げられてしまった。
ヘレンはすっかり――自我が肥大化して――「教育ママ」になっていたため、ヴィトゥスが子どもらしく生活することを許さなくなっていた。要するに、われわれ「凡人」には天才児に合った教育を施すことができないのだ。
高校ではヴィトゥスは、ずっと年上の「同級生」たちから「教授」というあだ名を奉られていた。クラスで飛び抜けて優秀だからだ。ヴィトゥス自身は、授業は苦痛だった。教えららる科目の中身が、教師の最初の言葉を聞いただけで結論が見えてしまうほど「簡単」だったからだ。だが、年上の高校生たちには、教師が提起する課題は難しすぎて、頭を抱えていた。
その日、ヴィトゥスは金融経済の事業を受けていた。教師は、銀行利子率の課題を提示して、ある預金額について何年後かの利払い後の口座算額を算出させようとしていた。電卓抜きで。
生徒たちは悩んでいたが、ヴィトゥスは退屈して新聞を読み始めた。
教師はその態度に憤って、ヴィトゥスに解答と説明を求めた。
ヴィトゥスは正解を答えて、「対数」を使った元利合計の演算を対数抜きで簡単におこなう方法を説明した。その方法には、教師も舌を巻いた。そして、ヴィトゥスの態度を自分への侮辱と理解した。
この事件がきっかけで、レオとヘレンは校長から学校の呼びだされた。だが、レオは今や取締役になっていて多忙だったから、ヘレンだけが校長と面談した。
その席で校長はこう切り出した。
「ヴィトゥスは、もはや高校で学ぶ意味はありません。天才児専門の教育機関で学ぶべきです」
だがヘレンは「ヴィトゥスを動物園か実験場のようなところに行かせるつもりはありません」
「では、近く、高校の卒業(大学入学資格)試験を受けてもらいます」
高校としては、一気に飛び級させて、秋には大学に送り込もうとしているわけだ。
だが、ヴィトゥスが12歳で大学に進学すれば、ますます「普通の子ども」の生活とはかけ離れた生活に追いやられてしまう。天才児は、今必要なのは「天才児として特別教育」ではなくて、今の自分の年齢=個性にふさわしい教育環境なのだと告げていたのかもしれない。
その悩みを、父親のレオに相談したが、仕事に忙しくて取り合ってくれなかった。
ヴィトゥスには遠く及ばないものの、知能が高く抜群の開発能力を持つ父親は、自分よりも才能に恵まれた天才児ならもっと機会に恵まれるだろう、くらいにしか考えていなかったのだ。