ある日、ヴィトゥスがいつも行く町のレコード店に出かけた。すると、そこでイザベルと出会った。彼女は――19歳か20歳くらいか、ヴィトゥスの目から見ると――すっかりおとなになっていた。
最初はイザベルの歓心を買うために、クラシックのCDではなく、彼女のお勧めの現代風ロックミュージックのCDを何枚も買った。だが、やがてイザベルと再び親しくなると、やはりクラシック音楽CD蒐集に戻っていった。
4歳のときから、イザベルはヴィトゥスの恋人(ただし片思い)だった。
で、ある日、ヴィトゥスはイザベルをデイトに誘いプレゼントを渡そうと考えた。贈り物は、イザベルがベイビーシッターに来た日にヴィトゥスの寝室で見たコウモリの縫いぐるみだった。彼は、コウモリをきれいな包装紙で包んで、翌日、レコード店の前――道路を挟んで反対側――で待った。
勤務時間が終わったイザベルが店から出てきて、こちらに向けて手を振った。ヴィトゥスは喜んだ。が、ぬか喜びだった。
イザベルが笑顔を向けたのは、粋なスポーツカーに乗った若者に対してだった。彼女の眼には、そのハンサムな青年しか映っていなかった。イザベルは、そのいそいそと車に乗り込んで、ドライヴに出かけていった。
あとにただ独り残されたヴィトゥス。衝撃のあまり愕然として立ちつくした。
だが、そのハンサムな青年はいわくつきのプレイボウイで、イザベルはつかの間の遊び相手でしかなかった。だから、数日後には、捨てられてしまった。イザベルは傷つき嘆き悲しんだ。
それを見たヴィトゥスは、4歳のときにベイビーシッターに来たイザベルがヴィトゥスのピアノ伴奏で歌ったあのロック曲をCDに記録した。この曲は、あのときレオが隠し撮りのために設置したヴィディオカムの――たぶんパソコンに保存してあった――デイタを複写編集したものだった。
そして、ディスクの表面に「スパイスガールズ」という標題をつけた。
その翌日、ヴィトゥスはイザベルが働いているレコード店に行った。
「このロックミュージックは最高だよ。スパイスガールズの曲だって。海賊盤かなあ…」
とイザベルに話しかけて、ヘッドフォンで曲を聴かせた。
曲を聴いていいるうちに、イザベルは元気を取り戻した。ヴィトゥスはこれでイザベルとすごく仲良くなった。
数日後、ヴィトゥスはイザベルを夕食に招待した。町では高級といわれるレストランに誘ったのだ。ヴィトゥスはひとかどのジェントルマンになったつもりで、料理とワインを注文した。そして、食事と会話を楽しみ、「イザベル、愛しているよ」と言いながら、イザベルに高価な指輪を贈った。
「だめよ、こんな高価な指輪を受け取ることはできないわ。たしかに私もあなたを愛しているわ。でも、それは可愛い弟を愛する姉の気持ちのようなものだわ。
それに、私はあなたよりもずっと年上だし」とイザベルは返答した。
「年の差についてなんだけど、統計によれば、男性は女性よ入りも平均寿命が7年短いんだ。そうなると、年上の男性と結婚する女性は、夫を失ってからも十年以上もあとに残されるんだ。
だから、ぼくらのように7年くらいの年齢差があれば、2人とも同じ時期に墓に入ることができるんだ。愛する人と同じ時に天寿を全うできるんだよ。理想的じゃないか」
「相変わらず数理には明るいわね。
でも、セックスはどうするのよ。あなたはまだ子ども、私はもうおとななのよ」
「しょせんセックスなんて、遺伝子の交換さ。
大丈夫。生理学的に見ると、夫婦間での女性の性的成熟――妊娠・生殖能力ではなく性愛の側面らしい――は、男性よりも何年も遅いそうだよ。だから、年上の男性が夫になると、妻が性的交渉を強く求める段階になるときには、男性が飽和状態になったり、性的能力が衰え始めるんだ。
性的な意味での倦怠期が生じる原因はそこにあるんだ。
だから、ぼくとイザベルとなら、性的な関係が成熟する時期が一致するよ。
もちろん、君にはしばらくは我慢してもらうことになるけれど」
まったく、天才児ときたら…女性の口説き方もすごく奇妙なやり方だ。
女性を口説いてプロポウズするのに、平均寿命の統計値とか生理学的に性交渉のことを理論的に語るなんていうのは…。
この場面の描き方は、じつに秀逸だ。私たち凡人と天才児との違いを際立たせている。
しかし、《普通の若い女性》であるイザベルは困惑するばかりである。指輪をヴィトゥスに返すと、席を立ってレストランを出ていった。とはいえ、このことでヴィトゥスを嫌いになったわけではなく、強い親密感を感じているようだ。まだまだ弟を愛するようにだろうが。とにかく、自分のことをそこまで深く気使ってくれる男の子がいるだけで、大きな勇気と希望を得たことは確かだろう。