こうして、ヴィトゥスは普通の12歳の子どもの学校教育の場に移ることになった。
転校先の学校で、ヴィトゥスはごく普通の――平均よりは少し賢い――目立たない子どもになった。その代わりに、同い年の男の子と友だちになることができた。
放課後や休日に、その男の子と自転車などでの遊びに熱中するヴィトゥスの表情や仕草から見ると、彼がいま求めていることの1つが、同年代の友だちや仲間との生活だったということがわかる。
天才児だとという特別視や態度による「壁」や「隔たり」がすっかりなくなった状態で、ヴィトゥスはクラスメイトや教師との関係を築くことができた。
それでも、ときとして普通の子にはない論理の冴えを見せることがあった。たとばこんな場面。
歴史の授業らしい。
ヴィトゥスは教師からある地名について質問されたが、答えられなかった。で、「先生は知っているの?」と問い返した。
女性教師は「もちろん知っているわ。たいていのことでは、教師は生徒=子どもたちよりも賢い(知識が豊富な)ものよ」と答えた。
すると、ヴィトゥスは次の質問を出した。
「蒸気機関を発明したのは誰ですか?」
「ジェイムズ・ワットよ」と教師。
「ジェイムズにも先生がいましたよね。しかし蒸気機関を発明したのはジェイムズで、生徒よりも賢いはずの、彼の教師は蒸気機関を発明することができなかったのですよね」とヴィトゥスは問い返した。
教師が示した一般論的結論に1つの例外を示して反証を提示したのだ。これは、数学である証明の正しさを否定する方法である。ある仮説の誤りを証明する方法だと言ってもいい。
とはいえ教師が誤っていたわけではない。彼女は「たいていの場合」という限定条件をつけているからだ――ただし、この「たいてい」にはかなり多くの例外があるということだ。
ときには、こんなふうにして、ヴィトゥスは過去の面影をごくわずかに示すこともあった。
だが、以前のように教師を追い詰めたり、軽蔑したりするような態度には出なかった。ヴィトゥスは、ほかの人たちとの距離の置き方や自分の考えと他人の考えとの差異についての対応の仕方を学んでいたようだ。
教師を追いつめてた頃のヴィトゥスは、別に知識に関してほかの生徒や教師に対する優越を見せつけたかったわけではなかった。ただ普通の授業に退屈していたことを咎められたことに反発しただけだ。教師が一方的に自分の権威を見せつけたり、ほかの生徒と同じ態度を強制することに反発しただけなのだ。
もっともヴィトゥスの側でも、もっと洗練された方法で抵抗するすべを知らなかった。年齢相応に精神的な成熟度が足りなかったのだ。ところが今では、知能が高いことも、逆に学習速度が遅いことも、それぞれの個性だということをわきまえ、そういうさまざまな個性の良さを認めてとうまく付き合う社会性を身につけている――というよりも同年代の仲間や遊び友達の大切さを知ったのだ。
それにしても、「普通の子ども」になってしまったことで、母親のヘレンの、ヴィトゥスの希望や個性をまったく無視したピアノの「詰め込み型英才教育」から逃れることができるようになった。ヘレンは、ヴィトゥスがヴェランダから飛び出すような衝動に駆られたのは、自分が「英才教育」にのめり込み過ぎたせいだという苦い悔悟を抱くようになったからだ。ヘレンも学習したのだ。