そのヴィトゥスは真剣な顔で、ルイ―ザに頼みごとを語った。ルイ―ザは、ヴィトゥスの頼みを受けた。こうして、次のような「事件」が起きた。
フォナクシスの新しいCEOになったニックは、経営危機のなかで事業を縮小するだけでなく、会社=事業全体をアメリカのM&A専門の――殺し屋鮫と呼ばれる――金融会社への身売りをしようとしていた。
その金融会社はこれまで、経営危機に陥っている企業の株式の大半を買い叩いて経営権を手に入れたうえで、最有望の部門を別の企業に高く売りつけて、ほかの部門を切り捨てたり、投げ売りしたりして、巨大な利益を手にしていた。あとには多数の失業者や工場の廃墟が残されれるというありさまだった。
「あとには骨すら残らない」と警戒されている悪辣な会社だった。
従業員の解雇や生産設備の捨て売りは、常套手段で、そういう企業の地場経済がどれほど疲弊しようと一顧だにしなかった。その「非情さ」を売りにして、欲の皮の突っ張った投機家の歓心を買っていたのだ。
ところがこのたび、ニックに対して、「ものすごく有利な条件」を提示して、この同族企業の株式のほとんど全部を買い取ると申し出ていた。これまでのように、投げ売りや切り捨てはおこなわないで、雇用を守るという甘言を弄して。
苦労知らずの「御曹司2代目社長」を甘言で籠絡するのは、人食い鮫=機関投機家にとっては、容易なことだった。
だが、レオは反対していた。
重役会議で、ニックの方針に反対を主張したレオは取締役会から放逐されれしまった。
レオは腹を立てていたが、しかし、収入の道が閉ざされることを避けるために、仕方なく、ニックの軍門に下り、再雇用を頼みに出かけることにした。
ところが・・・。
株式市場では、大波乱が起きていた。
経営危機とCEO交替の情報によって大暴落したフォナクシスの株を買い叩こうとしているアメリカの投資会社に対抗して、地元スイスの匿名の富豪「ドクターX」がフォナクシスの発行株式の全部を有利な条件で買い取りという提案をおこなった。
アメリカの「人食い鮫」は、この富豪に対抗してフォナクシスの株式を支配しようとしたが、株価の吊り上げ競争に悲鳴をあげて撤退した。
ルイ―ザは、この取引の直前に亡くなったドクターXの相続人の代理人として、株式取引所に乗り込み、アメリカの投資会社と渡り合って、ドクターXの遺言執行のために、フォナクシスの全発行株式を買い取った。
思惑が外れて、フォナクシス乗っ取り計画が水泡に帰した「人食い鮫」は、ルイ―ザに「あなたの依頼人は、株式市場や金融取引のことをまったく理解していないようだ!」という皮肉を投げつけて撤収したという。
そんなやり取りの様子の報告をルイ―ザから受けながら、ドクターXの受託遺言執行人であるヴィトゥスは、ルイ―ザと高価なシャンパンを栓を開けながら――彼自身はジュースで――乾杯していた。
そんな事情を少しも知らないレオは、フォナクシスの社長室に向かっていた。屈辱に耐えようと奥歯を噛みしめながら。
だが、屈辱感を露わにしたのはCEOのニックだった。
「卑怯者! お前の親父がこの会社を支配することになるなんて!
俺は首にされる前に自分から辞めてやる。新たな支配者に解雇を言い渡される前にな!」 と言い置いて、社長室を出ていった。辞表を残して。
レオは訳がわからずに、ニックの残した辞表を読んだ。
そこには、先日死亡した父親の名前がフォナクシスの全株式を独占的に所有する人物として記されていた。唖然とするレオ。
翌日、レオとヘレンのもとに手紙が届いた。レオの父、ヴィトゥスの祖父からだった。その手紙には、ヴィトゥスをめぐる真実が語られていた。いわく――
ヴィトゥスの天才は失われていないこと。事故は孫の偽装だったこと。
ヴィトゥスは、金融市場でのオペレイションで祖父のために巨額の資産を築いたこと。そして、さらに増やしたうえに、フォナクシスの支配権まで買い取って、レオをCEOに据えるという作戦を実行したこと、などの経緯が語られていた。