第6章 フランスの王権と国家形成
この章の目次
10世紀末以降の「西フランク王国」を見ると、後期カローリング王朝は実効的な統治体制を打ち立てることができなかった。王が行使するものとされた統治権力――大権 souveraineté ――は、王の代理人である伯 conte 、辺境伯 marquis たちの手に移るようになり、やがてさらに彼らの統制を離れて副伯 viconte や城主(城砦領主) chatelain が独自に行使するようになった。こうして、カロリング朝の統治単位である伯領は崩壊し、城砦を中心とする領主の軍事力がおよぶ圏域を支配するバン領主制 seigneurie banale が成立した〔cf. 佐藤 / 早川〕。
領主たちは、世襲の独立した封土に定住して、城砦を中核とした支配圏を形成し、彼らに強制をおよぼす能力のないパリの王に対して負っている名目上の義務を無視するようになっていった。とはいえ、領主たちは権力の大小優劣に従って地方的な序列関係にあって、近隣の有力君侯領主に臣従する場合が多かった。ことに、北西フランス・ノルマンディでは独特の軍制を敷くノルマンディ公とその直属家臣団の権力の前に城砦領主たちの自立化はかなり封じ込められていた。商業化が進んでいたフランドゥルとシャンパーニュでは、それぞれ早くから伯による下級領主や都市の統合が進められていた。
「フランス地域」は総体として、多数の局地的な慣習法圏、領主支配圏、関税圏――内陸道路や河川航路の関門による規制と関税や通行航税の徴収をともなう――に分断され、しかもそれらは入り組んだモザイク模様をなしていた。領主の農村支配は、別のところで見たように、農民村落の自律的秩序におおいかぶさる形で成り立っていた。領主は農民に対して賦役や貢租を課し、農村生活に必要な水車、パン焼き釜、ぶどう圧搾機を設置し、農民から利用税を取りたてた。さらに領地を通過する人や荷物、商品に通行税や関税を課した。
こうして、統治の単位が細分化されていき、領主の所領ないしは支配地の内部で統治装置が整備されていった。このような統治単位のなかで個々の領主は、平均して数人の騎士を従士(家士)として抱えて、領地の管理と軍事的防衛の担い手としていた。近代国家に比肩すべき政治組織は、このように有力な個別領主の領地の次元に存在していた。
だが、農民村落と農業経営のあり方は地方によって異なっていたがゆえに、領主と農民の関係、所領支配の態様も異なっていた。
大別して、ラインラントからセーヌ河・ロワール河流域、ローヌ河中流以北では、三圃制農業が発展し、有輪犂による深耕と家畜の舎内飼育による糞尿肥料の利用とが結びついて、高い収量の主穀生産が普及した。この農法は多くの人口を支える食糧を供給できると同時に、集団的農耕を必要としたので、集住型村落が形成された。ゆえに、大規模な所領(直営圃場)経営が成立した。
ところが、中南部では耕作地と放牧地からなる二圃制農法が維持されていた。地中海沿岸では、無輪犂による耕作と移牧とが結びついた農法が普及したが、あまり高い農業生産性は達成されなかった。このような諸地方の村落は散居型で農民人口は分散していて、大規模な所領経営は成り立たなかった。
フランドゥルでは散居型村落が形成され、近隣の都市集落との結びつきのなかで個別農民家族での園芸作物生産と季節による副業として毛織物・リンネル手工業が広まった。この地方は、早くから商品流通のネットワークに編合され、多くの都市が成立しており、領主の統治機構も独特の構造をもっていた〔cf. Gerhards / 増田〕。
これらの多様な生産形態と領主=農民関係は、「封建的生産関係ないし封建的生産様式」という非実証的かつ先験的な歴史的規定(先入観)で一括りにすることはできない。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー