ところが、スージーは自分の子どものほかに親しい友人――これまたシングルマザー――のフィオーナの息子、マーカスを連れてきた。フィオーナが仕事なので、日曜日のシッターを頼まれたからだ。初等学校に通う12歳の(日本でいえば中学生)少年だ。
マーカスの母親フィオーナは、病気の子どもたちを精神的に癒す音楽セラピーの専門家だ。そのせいか、きわめて繊細である。それで、ときどきひどい自己嫌悪や人生嫌悪で打ちひしがれてかなり深刻な情緒不安定に陥り、ひどいときは自殺衝動に駆り立てられることもあるのだ。他人をセラピーする人が自分については精神の安定を保つことができないというわけだ。マーカス少年は、そんな母親を心配している。
フィオーナは、ファンダメンタリスティックな菜食主義者で、平和主義者でもあり、コマーシャリズムや「ファーストフード」反対論者でもある。だから店頭販売のフライドチキンやハンバーガーなどはもってのほか。家庭では野菜や穀物中心の食事をマーカスに押しつける。
ハイテンポのポップスやハードロックなんかも、「退廃的な現代音楽」だ決めつけて家庭では聞かせない。マーカスには、歌詞の美しいスロウテンポなオールディズを教える。マーカスとしては、精神状態が不安定な母親を心配しているので、フィオーナの価値基準を素直に受け入れて、生活スタイルや音楽の趣味をそういう母親に合わせている。
だから、現在のロンドンの同世代の子どもたちとは相当にテイスト――音楽や文化、生活スタイルに関する好み――が違っている。そして知的で内省的である。だから、同世代のなかで孤立し異端視されることにもなり、学校ではひどい「いじめ」にあって、これまで何度か転校した経験がある。学校には足を向けたくないのだが、母親を心配させるわけにもいかず、仕方なく学校に通っている。
その日、マーカスは新しく移った学校まで母親に送ってもらった。彼自身は1人で行きたいのだが、母親が心配してついてきたのだ。そして、ゲイトでの別れ際、フィオーナが「じゃあ、マーカス、愛しているわ!」と大声で告げた。
それを大勢の生徒たちが見ていた。
大半は、「まるで幼児みたいだ、『マーカス、愛してるわ』だって!」と冷やかしの目つきと声を浴びせた。転校1日目から、嘲笑の的にされてしまった。マーカスはしかし、屈辱や恥ずかしさを押さえこんで、無言で生徒たちの間を抜けて校舎まで歩いた。
年長の悪ガキたちにとってはこれが絶好の「イジメのネタ」となり、からかいや侮蔑の理由になった。
そんなわけで、マーカスが最初に仲良くなったコンピュータゲイムおたくの少年2人もまた、いじめっ子たちの攻撃の的になってしまった。少年2人は、マーカスに「近づかないでくれ」と頼んだ。ようやくできた友だち早速失ってしまった。この学校でも孤独に耐えて暮らすのか、とマーカスは覚悟を決めた。