落ち込んだのはウィルだけではなかった。
ある朝、マーカスが起きてキッチンに行くと、フィオーナがすっかり塞ぎ込んでいた。また鬱状態(ひどい自己嫌悪)に陥っていた。
マ−カスは心配のあまり、かなり頼りない状態にあるウィルに相談した。だが、ウィルはウィルで、レイチェルに袖にされたことで、腑抜けになっていた。結局そのときウィルは、マーカスの相談に乗ってやれなかった。
マーカスが助けを求めたときに救いの手を差し出せなかった自分自身にウィルは落胆した。その落胆には、自分がマーカスにとってはしょせん他人でしかないことへの諦めが含まれていた。せいぜい、ちょっぴり高額のCDやスニーカーをプレゼントする――物を買い与える――だけで、親子のように真剣に心配したり、信頼し合ったりできないなんいだと。これまで他人と深く真剣に付き合ってこなかったからだと。
■キッズ・ロック■
ウィルが頼りにならないので仕方なく、マーカスは独力でフィオーナの「塞ぎ込み」に対処しようとした。フィオーナを何とか喜ばせようとした。そんなとき、学校の掲示板に「キッズ・ロック:
KIDZ ROCK ( KID'S ではない)」の開催と出場者募集のポスターが貼られていた。マーカスは、「これだ!」と思った。
これに出て《 Kill Me softly by his Song 》を歌うところを見せてやれば、フィオーナは喜ぶだろう、と。
だが、ティーンエイジャーの若者たち(ガキども)にとって、そんな化石のような古いスタンダード曲を歌うなんてことは、まったく論外で、恥ずかしくかっこ悪いことだった。だから、フィオーナは喜ぶけれども、マーカスは学校中の生徒の笑い物になるだろう。侮蔑やいじめはもっとひどくなるだろう。
けれども今考えるべきは、マーカス自身の幸福や喜び(あるいは苦痛)ではなく、フィオーナの幸福や喜びなのだ。母親のためにマーカスはストイックなまでの自己犠牲精神を発揮した。
このことをマーカスはエリーに相談した。エリーは「君が殺されるてしまう。やめときな」――曲の題名の kill に引っかけたシャレを交えた論評で、侮蔑やブーイングの嵐に見舞われるだろうから、やめな、という意味――と言い切った。
この「キッズ・ロック」は、学校主催で運営は生徒たちに完全に任されている――ブリテンの学校は開けているではないか――のだが、そのブロークンな名称のとおり、「今風のガキどものロック」の大会である。
ハードロック、パンクチュアル…最高にクールでぶっ飛んだガキどものパフォーマンス=自己表現の場である。だから、「母に捧げるスタンダードナンバー」というような古風な演目が、嘲笑とブーイングの大波の洗礼を受けること請け合いである。
つまり、マーカスの勇気たるや、称賛に値するものなのだ。
涙ぐましいほどに不退転の決意を固めたマーカスは、フィオーナにキッズ・ロックに出て「優しく歌って」を歌うので見に来て、と伝えた。宣言した以上はもう引き返せない。
キッズ・ロックの当日の朝、ウィルはようやくひどい落ち込みから立ち直り始めた。マーカスとの友情の大切さにも目覚めた。
「マーカスは大事な友だちだ。その母親は少し頭がいかれているが、大事な友だちにとっては大切な母親だ。本当の友だちは、その友だちが大事にしているものを守るために奮闘しなければならない」と。
というわけで、ウィルはマーカスの家に行った。母親を訪ねて、元気づけるために。
フィオーナは、今落ち込んでいるが自殺願望はないと言い切った。けれども、マーカスが自分のためにキッズ・ロック大会に出て、苔が生えたような古臭いスタンダードナンバーを歌う予定をウィルに告げた。
フィオーナは、そのことが学校でのマーカス立場を窮地に追い込むかもしれないとは、またく考えていなかった。だが、ウィルは驚愕した。鼻歌を歌うだけでもひどいイジメに遭うのに、ロック大会で歌ったら、それこそ大変なことになる、と。
ウィルは自慢のアウディにフィオーナを乗せて学校までぶっ飛ばした。