その日、スティーヴン・ケレンはアルゴ・モーターズ社のステイションワゴン「メリディアン」に妻と幼子を乗せて市街地を走っていた。彼は次の交差点で左折しようとして左ブリンカー(日本ではウィンカー)を点滅させ、スピードを落とした。すると不注意な後続車が追突した。衝撃は大したことはなく、車の後部が少しへこんだだけだった。
ところが、直後、燃料タンクに火花が入って燃料に引火、爆発炎上してしまった。瞬く間に車は火に包まれ、スティーヴンの妻と子は焼け死んだ。スティーヴンも重傷を負い、命は取り留めたものの、下半身不随になってしまった。今は、車椅子での生活だ。
追突そのものが、3人の死傷の本当の原因ではなかった。その軽微な衝撃で、燃料タンクの近くの電気配線が火花を発したことが爆発の原因だったようだ。スティーヴンから見れば、自動車の構造的な欠陥が、妻と子の生命、そして自分の下肢の機能を奪い取ったのだ。
そこで、スティーヴンは、車の構造的欠陥を放置したまま販売している自動車会社の過失が事故の原因だとして、賠償を求める民事訴訟を起こした。彼の法的代理人は、ローゼンバーグ弁護士。
ところで、アルゴ社の同型車は、ほかでも同じような事故を発生させていた。軽い衝撃で燃料タンクが爆発炎上するという事故だった。多くのユーザーがひどい火傷を負っていた。
だが、アルゴ社の顧問弁護団、クイン・カリフォーニア法律事務所は鉄壁の防御壁を構築していた。フレデリック・クインが率いる辣腕弁護士たちの論陣によって、アルゴ社の車の構造上の欠陥に対するスティーヴンの申し立ては、ことごとく撥ね付けられてきていた。
第一審では、事実上の敗訴。控訴したが、ローゼンバーグの戦略では、上級審でも、もはやアルゴ社が提示するきわめて低い金額での和解を受け入れるか、それとも敗訴覚悟で同じ主張を続けるか、を選ぶしかなさそうだった。
おりしも、その頃、J.タッカー・ウォードは、次に噛み付くべき標的を物色していた。彼の正義感と挑戦意欲をかき立てる「横暴な大企業」を。先頃の訴訟では、鮮やかな勝訴を獲得して、彼の活躍がヘッドライン付きで地元新聞にも取り上げられていた。
そして、スティーヴンは穏健なローゼンバーグ弁護士を見限り、喧嘩好き、戦闘的なタッカー&ニック・ホルブルック法律事務所に助けを求めてきた。