タッカーは、グレイザーへの証人尋問の終了をすんなり認めた。
次いで、別の証人を喚問することにした。タッカーが裁判長に次の証人として告げたのは、当時アルゴ社のリスク管理部の責任者だったアンソニー・アグリコーラだった。
クイン事務所の弁護陣は、それは誰なんだと訝しがった。ただ、マギーだけが知っていて、アルゴの元リスク管理部長だった人物だと仲間に告げた。そして、
「それは、相手側の証人申請書のリストに掲載してあった名前でしたよ」と冷静に言い放った。クイン事務所の面々は、事態の成り行きに愕然となった。
つまり、アルゴにとって決定的な打撃となるかもしれない証人の申請について、何の手も打ってこなかったからだ。そういう証人ならば、当然のことながら、マギーが対策を打つか、さもなくばメンバーに相談するはずだ、と思い込んでいたからだ。
被告側弁護人たちが唖然として見守るなかで、タッカーは尋問を始めた。
まず、事故当時、アグリコーラがアルゴのリスク管理部長だったことを確認した。そして、仕事は、経営事業のリスクの見積もり( calculation )だということを。この部門の人員たちは「計算屋」と呼ばれていた。
何の計算をするかというと、今回の場合、
パヴェルの報告書が指摘している欠陥による事故が起きるとすると、その確率はどれくらいか。300台に1台。
そのうち、運転者や搭乗者が重い障害になるような重症または死亡事故にいたる確率は。1000分の1(およそ150人)。
その補償や損害賠償に要する費用は。約3000万ドル。
では、すでに販売した車を回収して検査補修作業に要する費用は。およそ7000万ドル。
当時、開発設計担当副社長のゲッチェルは――アメリカでは、日本の事業部長ないし取締役部長に当たる役職は、副社長の地位となる――この「金額的に表現されたリスク」予測を見て、この数値ならば、このまま何の手も打たずに製造販売を続けるという経営方針を決定した。
それは、すべてパヴェル博士の報告書を基礎資料にしてのリスク予測数値だった。
タッカーの尋問で、このような事実が解明された。すなわち、パヴェル博士の報告書(提言)は存在し、アルゴ社に提出され、副社長はそれを読み、かつ顧問弁護士のグレイザーに相談したことが判明した。
法廷全体は騒然となった。
裁判長もまたもや思いもかけない展開に一時休廷を宣告して、双方の弁護人を控え室に集めた。
というのも、すでに述べたとおり、その証言が明らかにしている事態は、被告側弁護人の資格の剥奪、これまで弁論の即時阻却につながる事実だったからだ。アルゴの顧問弁護士が証拠=報告書の隠滅という違法行為をおこない、その報告書をめぐる弁護士としての行為(報告書を読み、評価・判断したこと)について虚偽の証言をしたということだ。
こういう場合、被告アルゴの顧問弁護士としては、被告側のきわめて重大な過失責任は明白となったから、信用失墜などのダメイジを最小限度に抑えるため、過失責任を認めてただちに和解交渉に入るよう勧告すべきだった。
しかし、グレイザーは証拠隠滅を図ったうえに法廷を欺き続ける選択をおこなったのだ。倫理規定違反による弁護士資格剥奪と法廷侮辱罪は免れない。
裁判長としては、法廷と訴訟の適法性と品位を保持するために、専門家として陪審員に、ただちに被告側の全面敗訴の評決を下すように勧告しなければならない。そのうえで、過失責任を認めたうえで、新たに原告との示談のためにどのような条件を提示すべきか。あるいは飲むべきか。それについて、陪審員の判断を求めるようになるはずだった。