クイン事務所では、フレデリック・クインとマーガレットが裁判の戦術を練っていた。クインの懸念は、車椅子に乗った障害者である原告のステーヴンが証人として法廷に立った場合に、陪審員の同情が集まるだろうということだった。スティーヴンを証人席に座らせる事態を何とか回避しなければならなかった。
そこで、クインはマギーに、原告の事前聴聞をおこなって、その場でスティーヴンに精神的打撃を与えて「つぶす」ようにと指示を出した。
この証人の事前聴聞は、裁判長の許可と相手側弁護人の了解と立会いのもとに、法廷以外の場所(たいていは、被告側からの要求ならば被告側弁護士事務所)で予備的な尋問と聴取をおこなうというものだ。
こうした手続きは、裁判の迅速化のために、原告・被告の双方の了解のもとで、法廷外で両者の主張のぶつけ合い、論点整理、証人採用の当否などの検討をおこなうものだ。当事者の自立性を尊重し、促進するアメリカ式の訴訟手続きとも言える。
こうして、ある日、クイン事務所でマギーによる原告(証人)聴取がおこなわれた。マギーは、被害者スティーヴンに辛らつな質問を浴びせていった。原告の日常生活や性格、行動スタイルについては、金に物を言わせて何人ものスタッフを動員して、微に入り細に入り調べ上げてあった。
マギーは、スティーヴンが車の運転にはきわめて慎重で、むしろ恐怖心すら抱いていること、つまりいつもかなりの低速で運転して、周囲の車の運転者の苛立ちを呼び起こしていたことを衝いた。つまり、ノロノロ運転で事故を誘発しかねない、と。問題の事故も、ノロノロ運転でいらついた後続車の追突を招いたのではないか、そうすると、妻子の死はスティーヴンにもかなり大きな責任があるのではないか、と。
そして、それまでに幾度もノロノロ運転による事故を招いていた事故記録を突きつけた。
車の構造的欠陥からはすっかり話題をそらして、運転者自身の弱みをこれでもか、これでもかと追及したのだ。妻子を失って自分が生き残ったことに深い悲しみと慙愧を感じているスティーヴンは、すっかりうろたえ、混乱してしまった。
おそらく、法廷でも同じような質問を浴びせられれば、支離滅裂な証言やうろたえをさらけ出すだろう。
スティーヴンは、最後に言葉を搾り出すように、そしてうめくように言った。「あなたには、家族を失った人間の心情や人格の尊厳への配慮というものがないのですか。ただ、勝てばいいというのですか」
スティーヴンの弁護士ホルブルックは、そこで聴聞を打ち切った。
同行したタッカーは、娘に言った。「こんな卑劣な手まで使って、優位を得たいのか。見損なったよ」
スティーヴンに対する「証人つぶし」は成功した。だが、マギーの心は少しも弾まなかったし、ひどく疲れ果ててた気分になってしまった。 「こんな手法を使ってまで、訴訟に勝つということが、私が求めていたものだったのか」と。そして、そんな姑息な手で父親に勝つのはいやだった。
それが彼女にある決心を固めさせた。
この事件をめぐる事実や経緯については、どんな小さなことでも隠蔽したり、目をつぶったりするのではなく、アルゴに不利なことでも、すべての問題を正確に掌握して、やはり正攻法で法廷で論争しよう、と。