その1週間前、サンフランシスコ市の市庁舎近くの連邦庁舎ビル内のコートルーム(小法廷)では、タッカー・ウォードが陪審員を前にして最終弁論をおこなっていた。隣の小法廷では、娘のマギーがこれまた被告企業の立場から弁論を展開していた。
父親は、廷内の陪審員や傍聴人の心情(正義感)を駆り立てるようなセンセイショナルな弁舌をふるっていた。彼の声高なスピーチと表現のどぎつさは、廷内を騒然とさせていた。陪審員や傍聴人は、口々に感嘆の声を漏らしたり、互いに思いをぶつけるような会話を始めたり、あるいは驚きの声を発しながら、身を乗り出そうとしたりしていた。
やがて、廷内には拍手や歓声、歓呼が飛び交うようになった。もはや、法廷というよりも、劇場の雰囲気だった。タッカーは弁護士というよりもアクターのようだった。
裁判長は、廷内の騒ぎを何とか鎮めて、法定の秩序を保とうと必死になっていた。そして、相手側の弁護士たちは抗議(「異議あり!」という異議申し立て: objection! )を連発していた。
このときタッカーは、大手化学企業から損害賠償を訴えられた近隣住民の1人を弁護していた。
その住民(工場近隣の住宅地に居住)は、有害な工場廃液を河川に垂れ流し続けているその企業の工場管理室に大型自動車を突っ込ませて、操業停止に追い込んだのだ。化学会社は工場施設の損壊と操業停止による損害額の賠償を要求していた。
タッカーは、有毒廃液の河川への放出の違法性と住民の健康への脅威を、過激な表現で明示して、原告企業の申し立ての不当性を暴き出していった。もはや、化学会社の劣勢はリカヴァーできそうもなくなっていた。
一方、隣のコートルームでは、マギーの冷静沈着な弁論が続いていた。感情を抑制した、静かで落ち着いた声音だが、その言葉は、相手側の申し立ての根拠や立論の文脈をズタズタに切り裂いていった。
父と娘。感情をぶつける論法と冷静で理性的な話法。自由奔放と自己抑制。まるきり対照的な弁論だった。父親は大きなハンマーのような衝撃を与え、娘の弁舌は剃刀やナイフのように鋭利な刃物。片や衝撃音を轟かせ、片や音もなく鋭く切れる。
だが、2人の弁論には共通性、よく似た性質が含まれていた。相手側の立論や論拠の小さな欠点、隠れた弱点を誤りなく見抜き、そこに楔を打ち込み、亀裂を広げ、ついに全面的な綻びに追い込む鋭さである。直観なのか、それとも緻密な推論が背後にあるのか。
マギーはアシスタント弁護士、後輩のブライアンの称賛のまなざしを浴びながら、法廷から出てエレヴェイターに向かった。ローファームは有能な弁護士に経験の浅い若手を助手としてつけてコンビネイションをつくって、つねにティームとして訴訟に派遣する。先輩の補助をしながら実務経験を積ませて、若手をトレイニングする。
さて、2人がエレヴェイターに乗り込むと、そのあとからタッカーがやって来た。
タッカーは、リボンをつけた贈り物の箱を抱えていた。それを見たマギーは、ぎこちない笑顔を父親に向けた。目顔でうなづいたタッカーは、マギーに声をかけた。「ああ、これはお前のお母さんへのプレゼントだよ。34回目の結婚記念日のね」と。
「35周年よ」と娘は訂正した。ほんの小さな間違いだったが、娘は父の思い違いを厳格に指摘した。
エレヴェイターを出ると、父と娘はそれぞれ別の方向に歩き出した。
しばらくして、父と娘は同じ場所に現れた。タッカー&エステル・ウォード夫妻の結婚記念日を祝うパーティの会場となったレストランに。そこには、夫妻の友人や隣人、仕事やヴォランティアの仲間たちが集まっていた。食事をしたり、会話したり、あるいはダンスをしたり。和やかな雰囲気が漂っていた。
だが、タッカーとマーガレットは互いにうまく折り合えずに、言葉を交わしながらも、角を突き合わせていた。やがて、2人はほかの人びとから離れたところに行って、言い合いをはじめた。
娘から見ると、父親タッカーの自由奔放な、いや身勝手な行動、そして何度も浮気をして妻を悲しませたことが許せなかった。
タッカーは、リベラル派の旗手、進歩派の弁護士として、弱者救済、社会的公正や人権擁護のために奔走してきた。とはいえ、家庭を置き去りにして仕事に没頭したり、仕事や運動のなかで知り合った女性たちと浮名を流すことがあった。
娘は思春期をすぎてからは、自分の両親の理不尽な関係、すなわち夫の勝手な振る舞いに悲しみ、傷つき、孤独に耐え続ける妻エステルを見ながら育った。タッカーは家庭内では、少しも進歩的でもリベラルでもなかった。わがままな専制君主のように横暴だった。
こうして、マギーは父親の顔を見ると、ついつい非難の目をむけ、口論を挑む形になってしまう。タッカーは、大事に育ててきた娘だから、最初のうちはまあ無視しているが、やがて我慢ができなくなって、ついつい感情的な反撃に出てしまう。やさしい言葉をかけてやりたいのに。
そんな関係をタッカー自身悩んでいるが、喧嘩っ早くて口論での負けず嫌いの地が出てしまう。その感情を抑えられない。マギー自身も、このことばかりは感情的になってしまうのを抑えられない。要するに、2人とも、論争になれば負けたくないという、子どもじみた心性から卒業できないのだ。
というわけで、今夜も2人は喧嘩別れのようになってしまった。
板ばさみになって悩むのは、妻であり母親であるエステルだ。