その数年後、1984年、アメリカ合衆国マサチュウセッツ州、ボストンのアイリッシュ系街区でのこと。
■リーアム・デヴリン■
深夜、30歳くらいの男がアイリッシュパブにいた。穏やかに酒を飲んでいた。この店では新顔だった。名をリーアム・デヴリンという。いかにもアイリッシュという名前ではないか。
この店の常連たちは、大西洋の対岸、北アイアランドでブリテン当局とプロテスタント系住民に対して武装闘争を挑んでいるIRAを支持する、強力な共感者だった。毎晩のように、IRA支援カンパの募金缶が回されて、男たちは酒臭い息を吐きながら、缶にドル札を放り込んでいた。
だが、その男は、「暴力には賛成できない」という口実で、カンパには協力しなかった。それが、周りの常連客の神経を逆なでしたようだ。
2人の常連たちが男に詰め寄った。
「おい、よくもまあ、平気な顔で飲んでいられるな。祖国では、大変な闘争が続いているんだぞ。お前も闘争の大義に手を貸さないのか」と。喧嘩を売るための挑発だ。
「もう十分協力してきたさ。だが、もういいよ」
男は取り合わずに店を出た。そこは裏通りだった。
すると、常連たちは仲間に目配せして、5人ほどのグループを組むと、店を出て男の背後に回った。そして、先に出た男に向かって「意気地無し、腰抜け!」と怒鳴って、襟首をつかみ引きお倒した。5人は、倒れた男を取り囲んで、なおも、殴ったり蹴ったりし続けた。
それでも、男は無抵抗だった。自分からは手を出さなかった。「闘わない」という強い意志が感じられた。そのことが、なおさらに常連たちの怒りに油を注いだ。
「やるがいい、俺は殴らないぞ、暴力はいやだ」
どこかに深い絶望さえ感じさせる、強い意志だった。
■トーマス・ケリー■
偶然、この裏通りを歩いてきた青年が、この一方的な乱闘を見つけた。大勢が無抵抗のたった1人を痛めつけている。義憤に駆られた青年は、乱闘に割って入り止めようとしたが、アイリッシュたちは暴行をやめなかった。
そこで、青年は1人1人をリンチの集団から引き離して殴り倒そうとした。
暴漢たちは、新手の敵が登場したということで、今度はこの青年に狙いを定めて襲いかかった。
それを見たリーアムは、仕方なく反撃を開始した。その攻撃は鋭く、次々に暴漢たちを打ちのめしていった。青年もなかなかの格闘技の腕前だった。またたくまに、暴漢たちの戦意を喪失させていった。彼らは散り散りに逃げ出した。
「いやあ、なかなかやるじゃないか」と青年。
「いや、君が助けに来るまでは、手を出すつもりはなかった。君が巻き込まれたから、仕方なくだ」とリーアム。
リーアムは「リーアム・デヴリンだ」と言って、手を差し出した。
握手に応えた青年も名乗った。
「トーマス・ケリーだ。よろしく」
トーマス・ケリーは、ウクライナのドゥルーモアですさまじい戦闘能力を見せた若者だった。だが、この場合は、本来の正義感からリーアムを助けたようだ。