リーアム・デヴリンがアメリカでまずまず平穏な暮らしを続けているあいだ、アイアランドでは血なまぐさい現実が続いていた。北アイルランドでは、IRA=シンフェイン党とブリテン政府のあいだで何度も平和協定が結ばれたが、しょっちゅう破綻していた。アイアランド独立派の正面に立ちふさがる敵は、今やブリテン軍からプロテスタント系過激派に代わっていた。
ブリテン連合王国政府は直接的なアイアランド支配から手を引き、いまや血なまぐさい敵対と抗争は、アイアランド人の内部でカトリック派とプロテスタント派とのあいだに続発していた。
むしろ、ブリテン軍はIRAとプロテスタント過激派とのあいだに入って衝突を抑え込んだり、治安の維持に主力を注ぐようになった。
ところが、むしろ比較的平和だった南アイアランド(共和国)側で事件が頻発していた。
1986年以来、ダブリンとその近郊では背後関係・動機が不可解な殺人事件が続発していた。90年までに、11人の政財界の有力者たちが狙撃され殺されていた。容疑者はどの陣営縫い属するのか、わからなかった。あるときは、カトリック系住民の有力者が殺され、あるときはプロテスタント系の要人が葬られた。またあるときは、どちらの陣営からも尊敬と友好を寄せられている人物が暗殺されていた。
ロンドン首相府の安全保障局も頭を悩ませていた。南部での紛糾が、ようやくおぼろげに道筋が見えてきた北アイルランド和平への動きを阻害し逆転させてしまうのではないか、と。
安全保障局は首相直属の公安機関で、チャールズ・ファーガスン准将――准将は旅団長資格で行政職では長官・次官に次ぐ地位――が局長を務めていた。ファーガスン准将は、もともとは軍情報部からの出向だったが、いまや保守・労働両内閣でアイアランド問題を専門とする中央情報管理機関となっていて、ファーガスンはその顔となっていた。
ファミリーネイムとしてのファーガスンはアイアランド系であることを示す。アイリッシュ系のファミリーネイムとしては、このほかガナースンとかリーガン、ケネディ、キンブル、ブロスナン、ボーグナン、オコンナー、オブライアン、デヴリン、ディロン、二―スン、ギャラハーなどが目立つものだ。
この物語はフィクションだが、アイアランド系でアイアランドに広い人脈をもつ軍人を局長に配して、内戦化の様相を強めている困難なアイアランド問題に対処しようとしている政権の姿勢を示す人物配置・設定となっていることが読み取れる。
ファーガスンは、ダブリン周辺での不可解な暗殺事件について調査を進めていた。だが、解決の糸口が見いだせていなかった。
ところが、最近になって、軍情報部からKGBが派遣したテロリスト、コヒーリンが暗殺犯である疑いが濃厚になったという報告が届いた。首相は、ただちにコードネイム「コヒーリン」が誰かを探りだせと命じた。
さて1990年の初冬、リーアムがダブリンの聖パトリック教会を訪れたのは、おりしも安全保障局がダブリンでの情報活動に本腰を入れ始めたときだった。リーアムは、トーマス神父に再会するために、教会にやって来た。
だが、そのとき、トムはKGBの命令でコヒーリンの人格で行動していた。
コヒーリンは黒ずくめの服装(ライダースーツと黒ヘルメット)でバイクにまたがっていた。狙う相手は、キルガノンに工場を建設して電子製品製造業を営む、ドイツ人実業家だった。名前は、ヨーハン・バーム。
彼は、アイアランドに将来的展望豊かな産業を移植して、多数の地元住民に雇用機会を与え所得を生み出していた。だから、とりわけ貧しいカトリック系アイアランド人たちから大きな支持と感謝を集めていた。
コヒーリンは、人気のない森陰の小道でジョギング中のヨーハンに追いついて射殺した。
暗殺後、コヒーリンは通りすがりの道の公衆電話ボックスに入り、地元の新聞社に犯行声明を伝えた。
「ドイツ人実業家、ヨーハン・バームを殺した。IRA暫定派(プロヴィジョナル)だ」
コヒーリンとしての人格になり切って暗殺を実行したトーマスは、その日がリーアムとの再会の日であることをすっかり忘れていた。教会に戻ると、ようやくそのことを思い出した。司祭の身支度に戻ると、トムは礼拝堂に駆け付けた。
修道女に案内されて礼拝堂に入ったリーアムは、トムを待ち続けていた。
トムはリーアムを見ると、顔を輝かせて抱擁した。
「ようやく決心がついたんだね。花嫁の両親の住所は、ぼくが探し出そう。協力できてうれしいよ」とトムは告げた。
リーアムは当分、ダブリンで暮らすことにした。住居はトムが見繕うことにした。