イングランドによるアイアランドへの侵略、抑圧と植民地支配は、15世紀に始まる長い歴史を持つ。支配・抑圧と抵抗・反乱の血まみれの紛争史、憎悪の連鎖と敵対がつい最近まで続いていた。これは、そのアイアランドを舞台とする、ある暗殺者・狙撃者の悲劇を描いた物語だ。
KGBによって非情の暗殺者として育てられた男――暗号名コヒーリン――は、心の片隅に「心」を持っていた。
だが、コヒーリンは暗殺の任務で派遣されながら、暗殺をためらったためKGBに裏切られることになった。こうして暗殺作戦は露見し、コヒーリンはブリテン政府に追い詰められ、無謀で自滅的な攻撃に出るしかなくなってしまった。
他方、コヒーリン追跡の任務をブリテンの情報当局から押し付けられたリーアムは、手がかりを求めて、ロシア人の新進気鋭の女性ピアニストに接近した。彼女は、KGBの将軍の養女なのだが、KGBのスパイ養成所のドゥルーモアでコヒーリンに殺された警官=俳優の娘、ターニャだった。
ターニャは養父と対立して、ブリテンに亡命することになった。亡命を助けたのは、リーアムだった。
一方、非常の暗殺者になり切れないコヒーリンは、自分の正体を知るターニャを殺すことができなかった。そのために正体が暴露され、KGBの裏切りに会う。自分を暗殺者に仕立て上げた挙句、邪魔になれば抹殺しようとするKGB。四面楚歌のなかでコヒーリンは反撃を開始した。
暗殺という呪わしい仕事によって、KGBの名声を貶め、自分を追い詰めた世界に復讐しようとする―コヒーリンの次の標的は、ブリテンを訪問したローマ教皇だった。
司祭神父でもある彼自身、教皇を深く尊敬していた。だが、人命を弄ぶ国際政治では陰謀が横行している。こんな汚辱にまみれた世界には、「聖なる教皇」という存在は存在してはならない。コヒーリンはそう考えた。
教皇暗殺のねらいを知ったリーアムは、コヒーリンを阻止すべく行動を開始した。
1960年代からKGBは、旧ソ連領内に海外での諜報活動や破壊工作に熟達したエイジェントを育成するための訓練基地をつくり、運営していた。基地には、海外の都市のある区画が本物そっくりに再現され、その街区にいる住民もまた現地とそっくりの言語、生活風習や行動スタイルのなかで動いていた。
もちろん、模写とロールプレイングによるものだ。
まあ、最高によくできた「巨大な映画撮影セット」と言ってもいいだろう。
物語の主人公の1人、コヒーリン――アイアランドの伝説の英雄にちなんだコードネイム――は、「生きる殺人マシーン」だ。彼の人格は、KGBの研究部門屈指の心理学者によってマインドコントロールされ、いかなる場合でも人間的感情を完全に封じ込めることができる、冷徹な殺人者=テロリストとして形成された。
彼は、アイアランドのある街にそっくりな訓練基地で、殺戮の実戦訓練を受けた。そして、KGBで最も有能で冷酷なテロリストになった。
とはいえ、彼は工作に無関係の人びと、とりわけ女性や子どもたちを殺戮や闘争に巻き込むことを必ず回避しようとした。それが、彼の人間性あるいは倫理感によるものなのか、工作を「合理的」にするための手段なのかは不明だった。
やがて、彼はアメリカを経由して、ブリテンとの血生臭い戦争に明け暮れるアイアランドに破壊工作員として送り込まれた。この紛争をいよいよ収拾のつかない泥沼に引きずり込んで政府や軍の注意を逸らし、ブリテンでのソ連KGBの活動をやりやすくするために。
だが、彼はアメリカで1人のアイリッシュ系の青年と友情を築き上げた。彼の心の片隅に他人との信頼関係が意味を持つようになった。とはいえ、それすら破壊工作の条件として利用することすらあった。
しかし、彼の心には「乾いた後悔」とでもいうような、殺戮の犠牲者たちへの追憶が沈殿していった。彼の精神は、パースナリティを奪われた殺人者としての側面と、殺戮への後悔(あるいは殺戮の無意味さへの自嘲)をともなった心理とに分裂し、二重化していく。つまり、人間的な心理が、完全な暗殺者としての能力を掘り崩していったのだ。
だが、KGBという諜報組織にとって、彼は状況しだいで簡単に見捨てるべき「捨て駒」の1つにすぎなかった。だから、アイアランドで彼の正体が暴かれ始めたとき、KGBはコヒーリンを潰しにかかった。
KGBの「裏切り」を知った暗殺者は、無謀で自滅的な狙撃計画を実行に移した。
それを阻止しようとするブリテン当局の切り札は、偶然にコヒーリンと「かりそめの友情」を築いたリーアム・デヴリンだった。リーアムもまた、かつてはIRA随一の暗殺者だった。だが、手違いで無防備な一般市民を爆弾テロに巻き込んでしまった失敗によって苦悩し、IRAを離脱した。
コヒーリンとの息詰まる闘いは、自分の過去を清算し行動によって自己批判を形にしようとするための課題=任務となった。こうして有能な暗殺者として育成された2人の男が、過去の苦悩を引きずりながら相まみえる構図となった。
というわけで、この物語は、マインドコントロールで生み出された暗殺者の二重化した心理(心理の葛藤)の悲劇と、暗殺者から普通の市民に戻ろうと奮闘する男の心理の葛藤が、物語の基底に横たわるテーマとなっている。