南アフリカでアパルトヘイト制度が確立されていく1963年、白人の刑務官ジェイムズ・グレゴリーはロベン監獄島に赴任することになった。ところが着任にさいして、政府公安情報局の幹部から黒人運動指導者マンデラの監視とスパイの任務を与えられた。
ジェイムズはそのときアパルトヘイトの正しさを信じていて、抵抗する黒人を抑圧し取り締まることは当然のことだと考えていた。しかし、マンデラの誠実さや思想堅固な生き方を見ているうちに、なぜANC派の黒人たちが人種隔離に反対して抵抗・反逆するのか知りたくなる。とりわけマンデラとの論争のなかで話題になった『自由憲章』の内容を知りたくなった。
やがて、自分の子どもたちが白人警官たちが取り締まりのために黒人女性に暴力をふるう姿に怯え嫌悪したことを見て、当局のやり方やアパルトヘイトに疑問を抱くようになった。そして、粘り強くアパルトヘイト廃止に取り組むマンデラに一目置くようになる。
そんなとき、マンデラの息子が自動車事故で死亡したという事実をマンデラに伝えることになった。愛息の死を悲しむマンデラに深い同情を抱く。そしてジェイムズは、マンデラの監視・スパイという任務に忠実に振る舞ったことで公安当局の謀略に加担し、その結果、マンデラの息子の死を招いたのではないかと悩んだ。
さらに、釈放予定の黒人政治犯あてのANCからの秘密通信文を公安情報局に通報したことから、ANCの秘密拠点が捕捉され、軍の襲撃で多数の黒人運動家たちが殺害されたことにも、衝撃を受けた。こうして、アパルトヘイト・レジームを固守しようとする当局の強硬な姿勢に疑念と不信を募らせていった。
それはまた、当局の過酷な弾圧や抑圧に忍耐強く抵抗するマンデラへの尊敬や畏敬の念を呼び起こした。だが、マンデラへの人間としての共感を示したジェイムズは、白人看守仲間から異端視され「裏切り者」扱いされるようになっていく。
白人社会で孤立し追い詰められたジェイムズは、ある決心をした。