マンデラの名もなき看守 目次
人種隔離とヒューマニティ
原題と原作
現代の制度たるアパルトヘイト
あらすじ
南部アフリカの植民地化
アパルトヘイト政策
冷戦で生き延びたアパルトヘイト
ロベン島(監獄島)
敵対に引き裂かれた社会
マンデラとの出会い
マンデラの監視
自由憲章
苦悩への共感
募りゆく職務への嫌悪
ジェイムズの孤立
決   意
崩れゆくアパルトヘイト
焦点となったマンデラ
グレゴリーの「復帰」
マンデラ解放への道筋
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崩れゆくアパルトヘイト

  それから12年が過ぎた1988年。
  世界情勢と南アフリカ社会の構造は、大きな変動を経験していた。南アフリカのレジームを支えていた冷戦構造も変貌していた。

  ソ連・東欧レジームはハイパーインフレと経済的停滞から抜け出すどころか、ますますひどくなり、国家財政と金融の深刻な危機に陥っていた。ソ連・東欧に対する西側レジームの優越は圧倒的になり、アメリカと西側諸国政府は資本によるグローバリズムを地球全体に強制しようとしていた。
  ことにアメリカ政府は、威圧と金融支援の両方を見せつけながら、かつてはソ連の影響を受けていたアジアやアフリカの途上諸国を無防備なまま資本主義的な世界貿易へのネットワークに引き入れる戦略を成功裏に展開していた。そのさいに、相手国のレジームを、アメリカの眼鏡にかなった民主主義的政体に変革・改革することを、優遇・支援の条件とするようになった。

  ソ連・東欧の経済的・金融的危機はおそろしく深刻化して、もはや国内の秩序を維持するのが精いっぱい――それすらおぼつかなくなってきていた――で、国外への有効な支援を発動できなくなっていたからだ。
  アメリカ政府と西側レジームとしては、これまでのように反左翼・反共産主義ならば「独裁でも専制でもOK、支援する」という政治的立場から、公式には離脱しつつあった。そして、国内での人権抑圧を臆面もなく大っぴらに継続しようとする政権に対して、「貿易制裁=経済制裁」をちらつかせて、変革や改革を迫るようになっていた。

  こうした政権の方針を受けて、アメリカやヨーロッパのNGOや市民団体――右派から左派まで――は、国外に多数のミッションを派遣して、政権の民主化を支援し、独裁政権側の非人道的な仕打ちの情報を国際社会に発信して、民主化の国際世論を誘導していた。
  南アフリカ共和国も、アメリカや西ヨーロッパ諸国から「アパルトヘイト撤廃」、黒人への市民権付与を強く要求されるようになっていた。

  南アフリカ当局は、ダイアモンドやプラティナ、金などの希少鉱物資源の安定供給を楯に「内政干渉」を拒絶しようとしていた。ところが、深刻な金融危機に陥ったソ連から、大量のダイアモンド原石や金などの鉱物資源が、あたかも「投げ売り」のように安価に供給されるようになっていた。
  しかも、エスパーニャやポルトゥガル国内の独裁レジームの崩壊と民主革命によって、植民地・属領支配から解放されたモザンビークやアンゴラなどの諸国は、外貨収入獲得のために希少鉱物資源を先進国の言い値で大量に供給するようになっていた。アンゴラやモザンビークでは、これまでソ連側の支援を受けて内戦が持続していたが、ソ連からの財政支援を打ち切られてしまったからだ。
  ダイアや金などの新たな有力な産出国として台頭してきたブラジルもまた、累積債務危機から脱出するために、世界市場に大量の希少鉱物資源の供給の担い手となろうとしていた。
  希少資源産出国としての南アフリカの世界市場での特権的地位は失われてきていた。


  世界中で鉱物資源開発と寡占販売を牛耳っているリオ・ティント&ジンクやデビアーズなどの巨大な世界企業は、以前からソ連にもアフリカ諸国へも恐るべき金融支配のネットワークを広げ、資源供給の世界システムの仕組みのなかに絡め取っていた。
  世界市場での南アフリカの希少鉱物供給国としての地位は大きく下落していた。したがって、アパルトヘイト維持を譲らないことの代償として、西側諸国が公式上、展開する経済制裁=貿易禁止措置は、この国の経済の力を恐ろしいほどに削ぎ落としていった。
  南アフリカの通貨クルーガーランドの価値は暴落し、南アフリカが陰でこっそりユダヤ系金融資本の息のかかった「媒介会社(トンネル会社)」を通して西側多国籍企業に売り渡していたダイアや貴金属の取引き値も暴落の憂き目を見ていた。裏取引での貿易量はそれほど拡大できなかったので、打撃は大きかった。

  これまでアパルトヘイトは、アフリカ原住民や有色人種を抑圧することで、南アフリカの土地と労働力を安価に支配し、世界市場に安定供給する仕組みとして機能し、そうであるがゆえに西側諸国の支援を受け続けることが可能だった。だが、上記のように、アパルトヘイトが資本主義的世界市場の部分制度として生き延びる条件は失われていった。

  さらに、反アパルトヘイトは支配的な「国際世論」となっていた。国際メディアの報道は、この国にも広く深く浸透していた。暴力の連鎖に倦怠した白人市民層もまた、重苦しい経済的危機のなかで、アパルトヘイトとこれに付随する虚偽意識やイデオロギーを振り棄てつつあった。それは、じつは内心では忸怩や慙愧、さらに嫌悪を感じていたものだったのだ。
  彼らは南アフリカが経済的に生き残る手段として、アパルトヘイトにしがみついていたのだが、それができない以上、もはやリスクとコストが嵩むそんな制度にこだわる理由はなくなっていた。
  だがその分、頑迷な右翼保守主義者や極右勢力は、失われつつある自分たちの存在理由を失うまいとして、すっかり衰弱した政治的・イデオロギー的基盤にさらに執拗にしがみつくようになった。
  こうして、アパルトヘイトをめぐる意識や思想の敵対は白人社会に持ち込まれ、これまでのように黒人と白人とのあいだにだけではなく、むしろ白人内部に修復しがたい亀裂や分裂を生み出していた。   政治的な対立関係は、少数派となった守旧派白人と開明派白人プラス有色人種とのあいだに移動していた。

  アパルトヘイトはいまや内側から腐食して骸骨だけが残っていて、それを頑迷な政権と極右だけが何とか支え続けているだけだった。だが、骸骨でも過酷な暴力性を備えていた。

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