マンデラの名もなき看守 目次
人種隔離とヒューマニティ
原題と原作
現代の制度たるアパルトヘイト
あらすじ
南部アフリカの植民地化
アパルトヘイト政策
冷戦で生き延びたアパルトヘイト
ロベン島(監獄島)
敵対に引き裂かれた社会
マンデラとの出会い
マンデラの監視
自由憲章
苦悩への共感
募りゆく職務への嫌悪
ジェイムズの孤立
決   意
崩れゆくアパルトヘイト
焦点となったマンデラ
グレゴリーの「復帰」
マンデラ解放への道筋
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冷戦で生き延びたアパルトヘイト

  では、これほど酷い非人道的な政治構造が、1960年代から90年代まで存続できたのは、なぜか。
  今では「民主主義の旗手、擁護者」として振る舞うアメリカ合衆国やブリテン王国、そのほかの西ヨーロッパ諸国は、1980年代はじめ頃まで公式・非公式にアパルトヘイトを固守する南アフリカ共和国政権を一貫して支持し、支援してきた。
  というのも、金やプラティナ、ダイアモンドなどをはじめとする鉱物資源は、資本主義的世界経済にとっては、不可欠の資源だったが、その最大の供給源が南アフリカだったからだ。この国の経済とか企業経営には、アメリカやヨーロッパの最有力の金融会社や製造企業が直接・間接に抜きがたい権益や利権をもっていたのだ。

  しかも、ソ連が主導する「社会主義陣営」との政治的・イデオロギー的対抗、つまり冷戦構造が、全世界を覆い尽くしていた。そして、アメリカが主導する西側体制のなかでも、反共産主義・反左翼の立場の優等生が南アフリカだった。しかし、イデオロギー宣伝戦の裏側、つまり資源貿易ではソ連は終始一貫して西ヨーロッパによる南アフリカの経済的支配を黙認してきた。あまつさえ、アパルトヘイトによる支配と収奪を容認してきたことは、このサイトの『ダイヤモンド・ラッシュ』で見たとおりだ。
  とはいえ、南アフリカのコミュニストたちはアフリカ国民評議会と連帯しながら、首尾一貫して反アパルトヘイト闘争を支援し、革命のための戦略として位置づけていた。その意味では、西側陣営にとっては、左翼・社会主義派に対抗するためにアパルトヘイト秩序を維持することが必要となった。まったくおぞましく捩じれた構造としか言いようがない。


  アパルトヘイトは、こうして冷戦体制下で二重のイデオロギー的・政治的論脈をもっていた。
  1つは、黒人に対する人種隔離を正統化・制度化する論理だ。
  もう1つは、冷戦下でソ連陣営(社会主義や左翼革命)を封じ込める論理だ。西側陣営は、アフリカ国民評議会ANCは共産主義の手先・仲間というレトリックを振りかざしていた。
  アパルトヘイトが生み出し再生産する敵対関係や貧困は、冷戦のもとで、暴力的な闘争形態で南アフリカ政権とアパルトヘイトを転覆させようとする思想や政治路線の温床にもなっていた。南アフリカのアパルトヘイト・レジームがいっさいの黒人の政治参加・権利を奪い続ける限りでは、レジームの解体や変革は平和的形態では、たしかにありえなかった。
  黒人勢力のうち政治的多数派と左翼は暴力的抵抗と暴力革命を主張し、西側陣営はこれに対抗してアパルトヘイトの死守をスローガンとしていた。

  ゆえに、西側陣営にとっては、金やダイヤモンド、プラティナなど決定的に重要な経済的資源を世界市場に供給する国家の安全保障を確保するのは、1980年代までは当然の課題とされていた。つまり、冷戦が続く限り、アパルトヘイトは存続することになっていた。
  という文脈において、ネルスン・マンデラが、南アフリカ当局によって逮捕・拘束される――気の遠くなるほど長い投獄生活を送ることになる――きっかけ・情報を提供したのは、アメリカのCIAだった。

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