この時代、南アフリカのメディアの報道は、連日のように当局とANC(黒人解放運動)との暴力的敵対の事件を報じていた。暴力と敵対・憎悪は日に日に増殖していくようだ。このような社会環境のなかで子どもを育てることに、ジェイムズとグローリアは戦慄していた。
少なくとも、ロベン島のような黒人抑圧のために設置された監獄を軸として近隣社会が組織されているような場所から、そして黒人政治犯を監視し辱めるような職務から離脱したい、と強く願うようになった。
こうしてジェイムズは「転勤(転属)願」を提出することにした。そして、ジョルダーン少佐にも、転属を願い出た。だが、公安情報局は、コーサ語を使いこなせるうえにマンデラとの信頼関係を築き上げているジェイムズを別の場所と職務に移動させるつもりはなかった。
転属願を何度提出しても却下された。
ジェイムズはジョルダーンに強く直談判した。
「転属を認めないなら辞職する!」と。
だが、退職した刑務官が再就職できる見込みは薄かった。それでも、彼自身は現在の職務にともなう精神的苦痛から逃れ出たいし、子どもたちにとっても最悪の生育環境から逃げ出したかった。
妻のグローリアもロベン島から1日も早く出ていきたいと願っていた。だから、ジェイムズの辞職の希望に賛成し、母の実家に身を寄せて美容院を開くことまで計画した。
ある日、ジェイムズは刑務所長への敬礼を拒否して、所長による馘首の理由を意図的につくり出した。権威主義的で黒人憎悪の大佐は、まえまえからマンデラと対等に接するジェイムズを放逐したかったのだ。大佐はジェイムズを解任するきっかけを探していた。そのことをジェイムズも知っていた。
しかし公安情報部は、ただ見せかけの権威や憎悪を振りまく大佐よりも、沈着冷静に任務をこなす有能な「使える人材」として、はるかにジェイムズを高く買っていた。だから、所長の解雇決定を覆して、ジェイムズを内陸部の刑務所に転属させ、そこでロベン島監獄のマンデラをはじめとして収監されているANCメンバーの外部との通信を検閲監視させる業務をおこなうようにした。
公安情報部はロベン島監獄にいるマンデラあてに届いた書簡をジェイムズが勤務する場所に送って、そこで検閲・分析をおこなわせることにした。
こうして、ジェイムズは目の前で暴力が繰り広げられる職場から離脱することができた。
もちろんアパルトヘイトそのものは少しも変わらず、暴力的な敵対と憎悪が再生産されるという南アフリカの社会全体としての秩序は少しも変わらなかったが、ジェイムズ個人と家族は、身近に敵対と暴力が横行する職場から離れて、より平穏な職場環境と生活環境を得ることができた。