マンデラの名もなき看守 目次
人種隔離とヒューマニティ
原題と原作
現代の制度たるアパルトヘイト
あらすじ
南部アフリカの植民地化
アパルトヘイト政策
冷戦で生き延びたアパルトヘイト
ロベン島(監獄島)
敵対に引き裂かれた社会
マンデラとの出会い
マンデラの監視
自由憲章
苦悩への共感
募りゆく職務への嫌悪
ジェイムズの孤立
決   意
崩れゆくアパルトヘイト
焦点となったマンデラ
グレゴリーの「復帰」
マンデラ解放への道筋

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人種隔離アパルトヘイトとヒューマニティ

  2007年に「公開された映画『マンデラの名もなき看守』は、厳しい人種隔離アパルトヘイト政策が貫徹していた時代の南アフリカ共和国で、長らく投獄されていたネルスン・マンデラと彼を監視した刑務官のユニークな関係を描いた作品。
  物語は、獄中のマンデラを監視しスパイするはずの刑務官が主人公で、彼の目から見たマンデラの人物像と獄中生活、そしてアパルトヘイトへの刑務官の立場の変化を描いている。

原題と原作

  原題は Goodbye Bafana 。「バファナよさらば」という意味。
  バファナとは、主人公の刑務官ジェイムズ・グレゴリーの少年時代の親友だった黒人の少年の名前で、その少年は南アフリカ原住民コーサ語族の村に住んでいた。ジェイムズが少年の頃には人種差別はあったものの、まだアパルトヘイトはまだ確立されていなかったという。ことに地方の農村部では、白人少年と黒人少年とがいっしょに遊ぶことは禁じられていなかった――大目に見られていた――のだろう。

  原作は James Gregory, Goodbye Bafana : Nelson Mandela, My Prisoner, My Friend, 2007 (ジェイモズ・グレゴリー著『バファナよさらば――わが囚人にしてわが友、ネルスン・マンデラ』、2007年刊)。
  原作の内容は読んでないので不明。おそらく、この映画は原作の物語をかなり忠実に再現していると思う。
  一方、ジェイムズ・グレゴリーのこの著書に対しては、マンデラの公式の伝記作家から強い批判・非難が寄せられている。とりわけジェイムズとマンデラとの関係や奇妙な「友情」について、事実と異なる記述がある、と指摘されている。
  マンデラの伝記作家やアフリカ国民評議会(ANC)の立場から見ると、アパルトヘイト・レジームのもとで黒人を抑圧する白人政権側にいたジェイムズ・グレゴリーがマンデラに対してとった態度や関係は、マンデラと監獄外部との通信連絡をスパイ監視するためのものにすぎない、という見方になるのだろう。

  しかし、南アフリカの白人一般層の黒人やアパルトヘイトに対する見方や思想は、1960年代から90年代にかけて「激変」したのも事実だ。彼らの価値観やイデオロギーは、この期間中に大きく揺さぶられ、混乱し、やがてひっくり返っていった。
  とりわけ知識人や高学歴の政府職員のあいだでは、アパルトヘイトへの忌避感や自己嫌悪はかなり深刻だったらしい。
  してみれば、原作者ジェイムズのマンデラに関する心理や態度、評価もまた、この映画自体が描くように激変していったであろう。そして、おそらくはアパルトヘイトが崩壊したのちに書いた原作著書のなかで、――多少は自分を正当化し罪悪感を拭いたいという願望が影響して――マンデラの監視係だった頃の自分の態度や行動を若干脚色して、現在の自分の立場と矛盾なく描こうとしたのかもしれない。

  あるいは、獄中で間近に毎日マンデラを見続けている者としては、しだいにマンデラの思想や人格に親近感を抱くようになるのはさほどに奇異なことではないともいえる。⇒あらすじを見る

現代の制度たるアパルトヘイト

  アパルトヘイト―― Apartheid :ネーデルラント語では本来「分離・隔離」を意味する語で、「人種隔離制度」と訳される――は1990年代に公式には解体された。
  日本人の多くは、アパルトヘイトなどという古臭い頑迷な制度=政策は、18世紀から20世紀前半までの旧弊な植民地帝国時代に植民地の原住民を支配・抑圧するための仕組みだろう、と思うかもしれない。だが、実際には、第2次世界戦争後、20世紀半ばから後半にかけてつくられ定着した制度なのである。
  現代の制度 contemporary regime だったのである。
  もちろん、南アフリカでの黒人原住民の無権利や悲惨な状況は、ヨーロッパ人による南部アフリカの植民地化とその後のブリテンの植民地支配の時代からあった。だが、アパルトヘイトと呼ばれる制度は、ブリテン帝国のなかで南アフリカが自立化しやがて白人支配の国民国家として独立―― 1961年独立――していく過程で創出され確立された仕組みなのである。
  その時代は、世界的にはアジア・アフリカ諸地域での植民地が解体し、原住民の「主権」による独立国家が次々に誕生し、新たな国民形成( nation-building / national formation )が進展していく流れのなかで、あたかもこれに逆行するように起きたできごとだった。
  ダイヤモンドや金、プラティナをはじめとする希少鉱物資源を産出するこの地域――南アフリカ、モザンビーク、アンゴラなど――に対するヨーロッパ資本の支配は、第2次世界戦争後の西側世界の経済成長や冷戦での優位の確保、世界秩序の安定のためにどうしても不可欠だった。
  したがって、西ヨーロッパ諸国家による直接の植民地支配を維持するか、それが難しければ西側列強の意向に沿う白人政権の樹立が至上命題だった。果たしてブリテン連邦に属す南アフリカは、原住民の権利や自由をとことん抑圧する白人政権が統治する「共和国」として国家的独立を果たした。そして、国家としての独立が民主主義の普及ではなく、逆により厳格で露骨な人種差別と抑圧・収奪をもたらしたのだ。

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