マンデラの名もなき看守 目次
人種隔離とヒューマニティ
原題と原作
現代の制度たるアパルトヘイト
あらすじ
南部アフリカの植民地化
アパルトヘイト政策
冷戦で生き延びたアパルトヘイト
ロベン島(監獄島)
敵対に引き裂かれた社会
マンデラとの出会い
マンデラの監視
自由憲章
苦悩への共感
募りゆく職務への嫌悪
ジェイムズの孤立
決   意
崩れゆくアパルトヘイト
焦点となったマンデラ
グレゴリーの「復帰」
マンデラ解放への道筋
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ロベン島(監獄島)


▲ネルスン・マンデラ

ロベン島

  では、映像物語に進もう。
  1968年、刑務官ジェイムズ・グレゴリー軍曹は、ロベン島刑務所への転属を命じられた。アフリカ大陸の南端沖に浮かぶロベン島は、南アフリカの政治犯や凶悪犯を収容するために島全体が監獄要塞――白人刑務所と黒人刑務所とは分離されている――となっていたという。黒人政治犯はもとより、彼らを監視する刑務官や兵士にとっても、「普通の市民社会」から隔絶された異様な生活環境である。
  ところで、ロベン監獄島での服役囚の扱いがいかに非人道的で過酷なものであったかについては、『ゴルゴ13』シリーズの初期の作品「ロベン監獄島事件」で描かれている。この島での暗殺を請け負ったデューク東郷が凶悪犯監獄に収監され脱獄する物語だ。

■ジェイムズ・グレゴリー■
  ジェイムズの家族は、ロベン島への転任を知ると、当惑し愕然とした。だが、面倒な任地での勤務は昇進の階段を昇るためのステップでもあると考えて、受け入れた。というのも、アパルトヘイトのもとで苛烈な人種的・階級的敵対関係が渦巻いている南アフリカは、その当時、ソ連よりも厳しい兵営国家だったから、準軍事組織である刑務官制度のなかで、人事決定に不服を唱えることはできなかったからだが、他方で困難な職務は能力や業績についての評価を高めるチャンスとなるからだ。
  ところが、ジェイムズはロベン島で重い責任を引きうけることになった。
  彼は、新たな任地への赴任にあたって政府の秘密情報部のピーター・ジョルダーン少佐から接触を受けた。
  ジェイムズは囚人と外部との通信連絡を監視・統制する検閲係となるのだが、その職務への着任にさいして情報部は、ロベン島監獄に移送されたネルスン・マンデラの監視担当になるよう指示したのだ。


  1963年にヨハネスブルク近郊の農場で逮捕されたマンデラは、反アパルトヘイト闘争の最有力の指導者の1人だった。彼は、裁判で政治犯として有罪とされて、すでに4年間、政治犯刑務所で過ごしていた。結局、収監以来、27年間を刑務所のなかに収容されて生活することになる。
  ロベン島監獄では、そのうちの18年間を拘束された。そこで独房に収監され、石灰岩の破砕作業という過酷な懲役刑を強いられた。
  南アフリカ政権にとって最重要の――最も警戒すべき――黒人政治犯の監視担当になるということは、ジェイムズは情報局から、それなりの「信頼」を得たわけだ。大きな重圧を受けながらも、ジェイムズの妻グロリアは、それだけ上司への覚えもめでたいということだと夫を励まし、精勤と昇進を期待した。

  そのときジェイムズ夫妻は、ほかの刑務官や白人一般市民と同じように、アパルトヘイトの正統性を信じていたし、「黒人は白人を憎悪し、白人の自由や財産を奪い取ろうとしている共産主義者だ」という「社会通念」のとりこになっていた。中下流の白人家庭で育てば、誰しも自然にそういう心理状態や意識状態になるはずだった。
  冷戦体制下でアパルトヘイト・レジームのもとにある南アフリカ社会の多数派白人たちのあいだでは、政府のプロパガンダや教育によって「反アパルトヘイト=共産主義者」という単純化された安易な等式が成り立っていた。
  街中で警官たちが黒人を威圧し暴行を加えながら拘束、迫害しても、それはごく当然ことで、この社会の「正義」と「倫理」にかなうものだと信じて疑わなかった。

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