マンデラの名もなき看守 目次
人種隔離とヒューマニティ
原題と原作
現代の制度たるアパルトヘイト
あらすじ
南部アフリカの植民地化
アパルトヘイト政策
冷戦で生き延びたアパルトヘイト
ロベン島(監獄島)
敵対に引き裂かれた社会
マンデラとの出会い
マンデラの監視
自由憲章
苦悩への共感
募りゆく職務への嫌悪
ジェイムズの孤立
決   意
崩れゆくアパルトヘイト
焦点となったマンデラ
グレゴリーの「復帰」
マンデラ解放への道筋
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ジェイムズの孤立

  1976年。
  ロベン島の監獄でジェイムズがマンデラと出会ってから約8年が経過しようとしていた。
  2人は互いの深い溝(政治的立場の断絶)を認めながらも、対等な人間として向き合うようになっていた。砕石作業場や運動場への移動にさいしては、ジェイムズが専属の監視係としてつねに同行していた。
  その監視職務は、じつのところ、ジェイムズとマンデラとの対話の場となっていた。
  けれども、刑務官としてのジェイムズの立場上、反アパルトヘイト運動の指導者と対等に向き合っていることを同僚や当局に知られるわけにはいかなかった。とはいえ、マンデラの人間性や人格を頭から否定する行動や思想には同調できなかった。

  ある日、マンデラはジェイムズに、接見に訪れる予定の妻に誕生祝いのチョコレイトを手渡してほしいと頼んだ。その依頼は、人間的な信頼関係が成り立っているがゆえのものだった。だが、ジェイムズは立場上、言下に拒否した。
  だが本音では、8年間も引き離されている妻へのささやかな誕生祝い(小さなチョコの塊)くらいは、仲介しても構わないだろうと考えた。
  そこで、マンデラを先に歩かせてチョコを足元に落とさせ、それをジェイムズが靴を直すふりをして拾い上げて、ウィニーの監房への往復の付き添い監視のさいに手渡すことにした。
  そのことは、うまくいった。ところが、ANCの指導者、マンデラが妻にチョコを贈った事件はやがて新聞で報道される事件となってしまった。白人側メディアは、ロベン刑務所の内部に黒人への協力者=裏切り者がいることを避難する論調の報道をおこなった。

  刑務所の所長の大佐はジェイムズを呼び出して、監視がなっていないと失跡した。大佐としては、黒人政治犯を社会から隔離し押圧する暴力・強制装置としてのロベン刑務所の内部統制の欠陥の責任を問われることになるからだ。
  ジェイムズは、自分がチョコを手渡したことを報告した。
  「この恥知らずの裏切り者め。お前を准尉に昇進させてやった恩返しが、この裏切りか!」と罵倒された。
  それ以後、ジェイムズはマンデラやANCに同情する「白人仲間の裏切り者」としての烙印を押されることになった。同僚刑務官の多くは、彼を蔑視し、ことあるごとに罵詈雑言を浴びせた。

  まもなく所長の大佐は更迭され、北方の暑さの厳しい刑務所に転属させられた――南アフリカは南半球に位置するので、北方ほど熱帯に近くなる(念のため)。
  入れ代わりにやって来た大佐=所長は、アパルトヘイトの狂信的な信奉者で、部下の刑務官たちの人権や尊厳よりも自分の権威の誇示にこだわる――ゴリゴリの保守主義者・権威主義者にありがちな――男だった。というわけで、マンデラを対等に扱うジェイムズの立場は悪くなる一方だった。

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