マンデラの名もなき看守 目次
人種隔離とヒューマニティ
原題と原作
現代の制度たるアパルトヘイト
あらすじ
南部アフリカの植民地化
アパルトヘイト政策
冷戦で生き延びたアパルトヘイト
ロベン島(監獄島)
敵対に引き裂かれた社会
マンデラとの出会い
マンデラの監視
自由憲章
苦悩への共感
募りゆく職務への嫌悪
ジェイムズの孤立
決   意
崩れゆくアパルトヘイト
焦点となったマンデラ
グレゴリーの「復帰」
マンデラ解放への道筋
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焦点となったマンデラ

  こうして、アパルトヘイトの存立基盤は事実上ほとんど崩壊していた。
  今では人口の6分の5を占める黒人のほとんどは政治的に覚醒し、反アパルトヘイト陣営に組織化されていた。そして、白人層の過半がアパルトヘイトの解消を支持するようになっていた。
  だが、ボタ政権とその周囲に結集した頑迷な守旧派は黒人組織との交渉を拒否し、古いイデオロギーにしがみついていた。政権は、黒人層に政治的・市民的権利を認めないことで、かろうじて骸骨のようになった人種隔離制度を維持していた。
  そして、アパルトヘイトをめぐる考えについての分裂は、主要な国家装置、とりわけ軍や警察組織、刑務官の現場担当者のなかにも深刻な亀裂をもたらしていた。つまりは、黒人を押圧してきた装置が機能麻痺寸前だった。
  古い秩序はすでに崩壊していたが、新たな秩序は築き上げられていなかった。

  ひとたび暴動や反乱が発生すれば抑えきれない状況になっていた。
  ANCは力関係ではアパルトヘイト固守派に対して優位に立っていた。そうであるがゆえに、運動全体を自己抑制し、暴動の発生を抑えていたかにみえる。
  とはいえ、運動の拡大とともに、組織の末端や非暴力戦略を取るようになった指導部の言い分を聞かない過激派分子にまでは統制をおよぼせなくもなっていた。
  左右の過激派の大規模な衝突が起きれば、それをきっかけに全国的に大暴動に起きるかもしれなかった。そうなれば、平和的にアパルトヘイトを解体することで、ひどい混乱を回避して南アフリカ社会を変革する条件が失われてしまう。


  ネルスン・マンデラの扱いは、この国の政治の焦点となっていた。
  政府は、ANCと反アパルトヘイト運動の象徴となっているマンデラの安全を確保しなければならない。彼の健康と安全を確保するためには、ロベン島監獄に収容し続けることはできない。
  当局がマンデラの処遇を誤れば――マンデラの暗殺とか病死が起きれば――、全国的規模で激烈な暴動・反乱が起きるだろう。とりわけ、右翼過激派からマンデラを守らなければならない。

  ボタ政権はすでに「国家理性」を持ち合わせず、統治能力を失おうとしていた。議会でもすでにアパルトヘイト反対派が多数派となっていた。客観的な状況としては、政権にとってはもはやアパルトヘイトを維持するか廃止するかを判断する時期を過ぎていた。今やいつ、どのように廃止するかが政治課題となっていた。
  しかし、右派のボタ政権は難破して漂流する船にしがみついていた。選択肢は1つしかないのに、正しい決定が怖くてできないのだ。

  こうして、国家装置のなかでは政権中枢に取って代わって、公安情報局が南アフリカの国家的統合を守るためにマンデラの身の安全の保証を最重要の課題と位置づけるようになった。
  公安当局は、監獄でのマンデラや黒人政治犯たちの知る権利、つまりテレヴィや新聞、雑誌を視聴閲覧する自由を拡大していた。とういうのも、
  ボタ政権が倒れれば、次の政権は必然的・不可避的にANCと交渉に入らざるを得ないだろう。その場合、ANCの指導者、ネルスン・マンデラには、世界と南アフリカ共和国の状況を的確に把握し、当局との交渉・妥協にあたって冷静な判断を下してほしい、と考えたからだ。マンデラには情報メディアを自由に利用させることにしたのだ。

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