マーティンが倉庫から出ていくと、そこに地方ボス風の中年男が、ボディガード兼務の弟を引き連れて現れた。この男はこの町の裏社会のボスの1人、ジャック・ミーアンで、連れは弟のビリーだった。
ミーアンは葬儀会社を経営していたが、ほかに飲食業の一角も牛耳り、さらに高級売春業や賭博などにも手を染めていた。要するに、ロンドンのアイアランド系の裏社会を広範に支配していた。
ジャックは小悪党に声をかけた。
「しくじったな。だが、何としても、マーティン・ファロンに引き受けさせろ。もう1度かけ合え」
「でも、あいつは、もう殺しを止めたと言ってます」と小悪党。
会話にビリーが割り込む。
「ジャック、どうしても、あの男じゃないとだめなのかい」
「こういう仕事では、マーティン・ファロンが一番だ。おれたちが疑われずにクラスコ(ミーアン派のライヴァルのボスでイタリア系)を殺るには、あいつの手並みが必要なんだ。
よし、では、あいつの居場所を警察にタレこむんだ」
「だが兄貴、そうなれば、やつは捕まっちまうだろう」とビリーが聞く。
「いや、マーティンの方が警察よりも1枚上手だ。圧力をかけるのさ。だが、そうすれば、やつを追い詰めて、仕事に引き込むことができる」
翌日、マーティンが目を覚ますと、緊迫した気配を察知した。ベッドから身体を起こして窓の外を見ると、武装警察隊のメンバーが宿を取り巻こうとしていた。武装警察を指揮するのは、スコットランドヤードでも内閣直属のテロ対策部門の責任者でもある警視監(
superintendent )、ミラーだった。
マーティンは、銃身を切り詰めたショットガンを手にすると、裏口から隣家との垣根に潜り込んで、逃げた。
スコットランドヤードのIRA対策特殊武装警察隊が武装して、この安宿を包囲していた。彼らが、ドアを打ち壊して宿のなかに突入したときには、マーティンの影はなかった。
この武装警察による急襲現場の様子を見ながら、通り過ぎた乗用車があった。乗っていたのは、IRAの旅団のメンバーで、つい先日までマーティンの戦友だった、マリガンだった。IRA幹部の指令でマーティンを追跡してきたのだ。
武装警察隊は、マーティンの潜伏先の情報をつかみ、捕縛ないし射殺をもくろんで、この区画一帯を包囲し、警戒態勢を敷いていた。だから、マリガンは、マーティンが当局によって追い詰められていると感じた。
「来るのが10分遅かったようね」と語りかけてきたのは、車を運転する女性。彼女はロンドンでのIRAの連絡役のだった。この女性、ショバーン・ドノヴァンは、じつはIRA専属の凄腕の狙撃屋だった。
マリガンはマーティンを説得して、旅団の仕事に連れ戻すつもりだった。だが、マーティンが拒めば、射殺するつもりだった。だが、マリガンは長年の同志を殺すことに躊躇っていた。そのことを知るIRA幹部たちは、彼にはこの女性の正体を知らせずに、連絡役として殺し屋を送り込んだのだ。
というわけで、マーティンは八方ふさがりだった。武装警察から追われ、IRAからも「裏切り者」として追われている。国外脱出をはかるマーティンは、あの小悪党の隠れ家に出向いた。
小悪党はマーティンにサイレンサー付きのチェスカ(チェコ製の拳銃)を差し出して、イタリア系ギャングのボス、クラスコの殺害を無理やり押しつけた。
「俺はもう殺しはしたくないのに。殺しの仕事は、俺にまとわりついて離れないのか」と嘆息して、マーティンはチェスカを受け取った。