イタリア系ギャングのボス、グラスコは毎月、妻の命日に墓地に通っていた。亡き妻の墓に花束を供えるためだった。その日は、雨模様だった。だが、グラスコが墓地の前で車から降り立ったときには、空は明るくなっててきていた。
おりしもそのとき、近くのカトリック教会の司祭、ダコスタは自分が赴任している教会の裏手の墓地を歩いていた。雨が上がったので、ダコスタは傘をすぼめた。
すると、亡妻の墓にグラスコが献花して祈っているのが見えた。そこに、黒いベレー帽をかぶった神父が現れた。神父はグラスコの背後に近づくと、祈りの姿勢をとるかに見えた。が、その瞬間、拳銃を取り出して背後からグラスコを撃った。黒衣の神父はマーティンだった。
「何をするんだ、君は!」と言って、思わずダコスタは無防備のままに、黒衣の神父の前に飛び出した。
マーティンは、殺害の瞬間をダコスタ神父に目撃されてしまった。だが、彼は目撃証人を始末しようともせずに、銃をその場に置き捨てて歩き去った。
その光景を監視していた男がいた。ミーアンの運転手、バーマンだった。
彼は事務所に帰ると、目撃したできごとをジャック・ミーアンに報告した。ジャックは殺しの現場の目撃者に手を出さなかったマーティンの考えが腑に落ちなかった。だが、ふと笑顔を見せた。
「そうか、やつは教会に行って、そこでダコスタを始末するつもりなんだ。なかなか洒落たことを考えるものだ」と1人で納得した。
しばらくして・・・教会内でマイケル・ダコスタ神父は、殺人事件を警察に通報し、情報聴取に応じていた。
「すると、殺害犯は目撃者のあなたを見ながら、殺さずに立ち去ったというのですね。なぜでしょう」と刑事が尋ねた。
「そうなのです。それが不可思議なんです、私にも」と神父。
修羅場を目撃したというのに、しかも自分の命の危険があった事態のことなのに、ダコスタ神父はじつに冷静で、客観的な姿勢だった。というのは、彼もまた、以前はプロの狙撃手だったのだ。ただし、犯罪者やテロリストではなく、政府によって殺戮の資格=正当性を与えられていた。
彼はかつてブリテン陸軍特殊空挺部隊――SAS: Special Air Service 陸軍のエリート特殊部隊――の兵士だった。有能な兵員だったが、(ブリテンがアメリカと同盟してたたかった)朝鮮戦争での作戦任務中に1950年に中国軍の捕虜となった。何年も投獄された後、講和協定にもとづいて1956年に釈放された。それまで過酷な捕虜生活を耐えていた。
ところが、帰国すると、イタリア系市民の彼はカトリック神学校に入った。聖職者となって、破壊と殺戮の世界から全面的に離脱するために選んだ道だった。やがて司祭に叙任されて派遣された教会は、ロンドン東部の古びた教会だった。
その教会=聖堂は、双塔を備えたゴティック様式の――ノートルダム寺院の聖堂とそっくりの外観を持つ――建物だったが、すっかり荒れ果てていた。聖堂参事会など教会の教区組織が消滅してから久しく、信者の組織も教会の財政もすっかり衰退していた。
ダコスタは崩壊に直面した教区を再建するため、信者の団体を組織し直し、荒れ果てた聖堂を何とか礼拝集会できるように補修する仕事から始めた。それから十数年を経て、教会と教区の運営はようやく荒廃から立ち直り、基盤が整った。
今は、由緒ある聖堂を全面的に修築・補修するための工事がおこなわれていた。聖堂の外壁と屋上には、補修工事用の足場や格子が組まれ、屋根の一部は修復のために剥ぎ取られて防水シートで覆われていた。