「普通の子ども」になったことで、ヴィトゥスは祖父の家に自由に行き来することが許されようになった。祖父との暮らしや会話は、これまでどおり、ヴィトゥスの心の糧だった。祖父もなかなかに賢いようだ。
祖父は、ヴィトゥスを「普通の子ども」「ただの孫」として可愛がり、甘やかすのではなくチャレンジの大切さを教えるとともに、人生の達人として孫に人生の生き方や考え方、人間らしい姿勢について、さり気なくアドヴァイスをしてくれるからだ。人生の大先輩だが、対等の友人として接してくれる。
こうして祖父の家が、息抜きの場になった。祖父はヴィトゥスを一人前の人間として扱ってくれて、彼自身が悩み考える時間と空間を与えてくれるからだ。適当に放っておいて、それでいながら、ここぞというタイミングで(押しつけがましさを感じさせずに)アドヴァイスを与える。そこでは、ヴィトゥスは自分自身を出すことができた。
というわけで自分のありのままを発揮表現できる場所を見つけたヴィトゥスは、自分の才能を磨き人生設計を考えるためにある計画を思いついた。
自分の才能をぶつけてピアノを練習し演奏するための場所にしようとしたのだ。
ある日、ヴィトゥスは町の音楽レコード店で、ヨーハン・セヴァスチャン・バッハ(大バッハ)の「ゴールトベルク変奏曲(ピアノ演奏)」のCDを買った。それを祖父に家に持っていって、ステレオ装置のCDデック(ドライヴ)に入れて再生して演奏を聴いた。
祖父は仕事のために居間を出て工房に行った。居間にはピアノがあった。
しばらくヴィトゥスはCDの曲に聴き入っていたが、やがてCDデックを止めて、自らピアノで「ゴールトベルク変奏曲」を弾き始めた。楽譜はすべて頭のなかに入っているようだ。自宅ではピアノが弾けない振りをしていたけれども、このところは、イメイジトレイニングだけでピアノを練習していたらしい。だから、ピアノの演奏技術や感覚は少しも衰えていなかった。
この辺が天才児たるゆえんか。
この演奏中に祖父が居間に入ろうとしたが、彼はドアの隙間から、そのときの演奏がCDではなくヴィトゥス自身の演奏であるとを知った。著名なプロの演奏家の演奏の録音であるCDと比べて遜色ないことに、祖父は驚いた。だが、何も言わずに工房に引き返していった。
それでも、祖父はそのことを夕食のときにヴィトゥスに話した。
「驚いたな。お前は、これまでずっと両親はもちろんのこと、医師やカウンセラーを騙してきたんだな。そりゃあ、すごいや。すごく賢いから騙し通すことができたんだな」
「でも、おじいちゃん、このことは秘密だよ。誰にも話さないでね」
「ああ、もちろん。口にチャックをしておくさ。私はこの秘密を墓に入るときにも持っていくさ」
それから、ヴィトゥスは祖父の家で思い切りピアノを演奏する自由を活用した。
この物語はフィクション・ファンタジーであっさりと描かれているのだが、少年が脳神経医学や精神医学の専門知識と実務に関して、少なくとも問診や行態観察での判断に関する限り、医師やカウンセラーの判断に先回りするだけの実務知識を習得していたということだから、すごい。