それでは、映像物語の展開に目を向けよう。
1980年、中央アメリカ。敵(革命派)の大軍がすぐそこまで迫っていた。
ジェイムズ・シャノンが率いる傭兵隊は、半年前に彼らを雇った将軍たちを見捨てて国外に脱出しようとしていた。軍部独裁政権の圧政と抑圧は全国的な民衆の蜂起を呼び、首都は革命派軍にすっかり包囲されていた。
彼らを乗せたジープは、間近に迫った敵側の砲弾を避けながら走り続け、エアフィールド(滑走路舗装のない空港)で離陸寸前の輸送機をめざしていた。この輸送機は、政府の高官や特権層が外国に逃げ出すために手配したものだった。
この航空機に近づくと、シャノンたちは強引に機内に乗り込んだ。だが、座席に着いた仲間のミラーは、すでにこと切れていた。
反乱軍の弾幕が迫っているなかを、輸送機はやっとのことで飛び立った。
傭兵にとっては、報酬の高低だけでなく、だれに雇われるかをめぐる読みと判断が何より重要だ。彼らが赴く戦争で、勝ち目のありそうな側につかないと、報酬はおろか、命までふいにしかねない。
今回は読みと判断が甘かった。彼らを雇った将軍と政権は、民衆の支持も軍事的優位も短期間に失い、首都の周りに反乱軍が攻め寄せるまで、あっという間だった。
シャノンたちは、報酬の前払い金と引き換えにミラーの命を代償にして、かろうじてアメリカに帰還できた。
ニューヨークに戻ってしばらくすると、シャノンと仲間は、戦死したミラーの妻が産んだ赤ん坊の洗礼に立ち会った。
ミラーの危難を何度も救ったシャノンは、ミラーの深い尊敬と信頼を得たことから、彼の生前に誕生間近の子の名付け親役を頼まれていたのだ。
だが、洗礼が終わり、教会を後にしようとしたとき、新生児の母親から「あなたたちにはもう会いたくないし、子どものことも知らせない」と縁切り宣告を受けた。
戦乱と暴力そして不吉な「死のにおい」を放つシャノンたちは、拒絶されたのだ。子ども好きのシャノンは、当惑と孤独を噛みしめていた。
傭兵、すなわち政府による「直接的な統制」を受けない戦争請負人は、市民の銃保持の権利を認めるアメリカにあっても、一般市民からは忌避され、通常の市民生活とは埋めがたい溝によって隔てられているようだ。
もちろん軍事エリートの一部は、退役後に、同じ傭兵稼業でも、連邦軍と裏で結びついた巨大な傭兵企業――表向き「国際コンサルタント会社」を名乗っている――に雇われている。
そして、冷戦構造のもとで、合衆国政府=軍が表向き関与できないはずの「闇の業務」に、ダミー会社などを通して、政府から雇われて独裁政府の支援とか左翼政権の転覆クーデタにかかわっているのだ。
だがシャノンは大きな組織が苦手だった。
シャノン自身も、傭兵であることを理由に、かつては熱烈な恋愛の末に結ばれた妻との離婚に追い込まれている。ニューヨークのテナメントの一室で彼は孤独な生活を送っている。
高額の報酬を得ているにもかかわらず、シャノンは質素で清貧な暮らしを続けている。むしろ修行僧のようなストイックな暮らしぶりだ。
そして、近所の貧しい家庭の子ども=少年が物乞いのように金をねだると、必ず何がしかの仕事=役割を与えて、その報酬として小遣いを与え、「物乞いの真似をするな」と諭すのだった。
シャノンは世の中に斜に構える姿勢、批判精神をもっていて、それが傭兵仕事に彼を駆り立てるのかもしれない。
シャノンという名前はアイリッシュ系なので、移民家系であろう。あるいは子どもの頃にアイアランドでの血なまぐさい紛争を体験していたので傭兵という仕事に着いたか、あるいは貧困から抜け出すために兵役後に傭兵となったのかもしれない。
フォーサイスの分身ともいえる。
価値観や政治的立場にかかわらず金で雇われるが、自ら赴く戦地の状況や紛争の背景を知るために、つまり生き抜く知恵として冷徹で批判的な社会科学の眼をもっているのかもしれない。そうでなけれな傭兵隊長は務まらないのだろう。