シャノンが臨時大統領に仕立て上げたオコーヤ医師は、前回の大統領選挙でキンバの有力な対立候補の1人だった。だが、選挙はほとんど茶番劇で、キンバの当選は既定の事実だった。
対立候補はもう1人いたが、権力を握ったキンバ大統領によって闇に葬られた。そして、オコーヤは政治犯として投獄された。その後、偶然にシャノンと出会った。獄中で、おそらく2人はさまざまなことを対話したのだろう。
シャノンはクーデタ計画を立案するにあたって、国際資本と投資顧問の裏をかいて、民衆の悲惨さを救うことができそうな人物、オコーヤをキンバの後釜に据えたら面白いと考えたのだ。
シャノンが、多国籍資本のフィクサーが後釜大統領として連れてきた大佐を撃ち殺して、反体制運動家のオコーヤ医師を臨時大統領に据えるどんでん返しは、見ていて痛快だ。
「親ソ連の独裁者を倒す」とはいっても、それは欧米系大企業が自らの利権に都合のいい別の独裁者(完全な「金の亡者」)をキンバに置き換えるだけの話だ。
ザロンガで苦しむ民衆の権利や利益はまるっきり考えられていない。
それなら、どうせ非合法なクーデタなんだから、非常手段で反体制派・民衆派の指導者を大統領の椅子に据えた方が、はるかにましだ。
シャノンは、こう考えたのだろう。
だが、それは重苦しい結末で、必ずしも明るい未来を予期させてはくれない。
というのも、オコ−ヤの大統領就任は民衆蜂起とかザロンガの「国内要因」によっていわば「内発的に」発生した政治的変革ではない。
資金的にも計略の基本においても、外部の多国籍企業の代弁者によって主導され、具体的にはシャノンたち傭兵団と援軍(これまた外部要因)によってキンバと首都の軍隊が殲滅された結果でしかない。
いってみれば、民衆は「蚊帳の外」に置かれていて、彼らにとって新大統領の誕生は「いきなり降って沸いた突発的事件」としか言いようがない。
これを、新大統領オコーヤの立場から見れば、国内に政権基盤や支持基盤というような「受け皿」があっての権力掌握ではない。政権スタッフの構想も民衆の利益の集約に向けた準備(たとえば革命評議会や議会)もなく、いまだこれからのことなのだ。
その民衆はといえば、キンバ大統領一派によって抑圧され、たぶん部族ごとに分断され、結集する機会もなく、また自分たちの意見や利益を表明する機会もまったくなかった。
素朴な要求を政策的要求にまで昇華させていく政策形成・意見集約の制度手続き=プロセスもまた、いまはない。とにかくこれからのことだ。いずれも、時間と手間のかかる大変な努力が必要だ。
アフリカでの「政権交代」やら「民主化」、要するに「国づくり」の実際の歴史を見ると、選挙や政党制が今度は部族間の利権争いの装置になってしまうことが多かった。
もとより「先進国」でも議会制度や政党制が、一般民衆の利益を代表する場というよりも、特殊な利害が多数派やら「国益」やらに衣がえして、「少数派」というか一般民衆の利害をないがしろにしていく制度となっているのだが。
だが、アフリカはこれからまだ長い長い「国民形成:nation-building」の歴史を歩むことになる。部族や宗教ごとに分裂していた民衆が、穏やかに統合されて「国民: nation」という政治組織を形成していかなければならない。
ヨーロッパでは、この過程は2〜5世紀以上もかかっている。
ザンガロは貧しい財政事情にある。あの投資コンサルタントは、今度はオコーヤに資源開発利権の付与と引き換えに巨額の財政支援を持ちかけるかもしれない。
オコーヤは変革の理想を掲げ続けられるだろうか。何しろ、政権運営についてはシャノンら傭兵団は何の役にも立たないのだから。