シャノンが調べると、ザンガロでは最近、巨大なプラティナ鉱脈が発見されたことがわかった。そして、ソ連の後押しを受けた現大統領は、欧米の企業への探査・採掘権の譲渡やその投資を拒否していた。
多国籍企業のねらいは、つまるところプラティナ鉱脈利権の独占にあり、新たな大統領候補は、その目的に利用できる傀儡にすぎないのだ。
シャノンは、いつも小隊を組む傭兵仲間をこの計画に誘うことにした。
危険な計画に躊躇を見せる仲間もいたが、シャノンのもとに集まった「常連」が準備を進めるにつれて、参加を決意するようになった。
彼らは、小さな町とはいえ首都を制圧するために必要な大量の兵器(機関銃、擲弾筒、爆薬など)を、武器商人に発注した。
「死の商人」にとっては「ぼろい利幅」の取引きだったが、問題は、何トンにもおよぶ大量の兵器を、各国当局の監視の目をすり抜けて引き渡すために、どこを経由してどこに運搬するかだった。
結局、西アフリカに近く、比較的に港湾警備・輸出入管理に甘いエスパーニャの地中海の港まで運び、そこでシャノンたちがアフリカに向けて出航する手はずを整えた小型輸送船に積み込む予定とした。
通常、アメリカ軍産複合体と結託した多国籍企業の思惑が絡んで武器が「密輸」される場合には、各国当局の「公式の監視」をすり抜けて運搬する経路が用意されるという。
だが、今回の武器輸送にはシャノン自身の思惑が絡んでいた。あの投資顧問が予期したよりもずっと多くの武器弾薬を運搬することになったため、軍産複合体のご用達の安全なルートは利用できなかったようだ。
一方、シャノンの仲間もまた、小銃や銃弾、火薬を二重底になった重油ドラム缶に隠匿して、船に積み込んだ。
とはいえ、出航の直前にエスパーニャの港湾警察当局の査察を受けてしまった。だが、外面だけの権威を振りかざす官憲の目は甘かった。シャノンたちは無事に地中海から外洋=大西洋に乗り出した。
クーデタの黒幕、すなわち投資顧問は、新大統領候補の大佐とその一味をつうじて、数十名の現地出身者からなる「解放軍部隊」を訓練・組織していた。シャノンたちは、この「援軍」の支援を受けることになっていた。
というのも、今度の政変は外国資本の手先となった傭兵団が起こすクーデタではなく、独裁政権に反発する現地の人民が蜂起して起こした「解放闘争」という体裁を取るようになっていたからだ。マスコミや国際世論に対する戦術なのだ。
数日後の夜、傭兵たちが乗り組んだ輸送船は西アフリカの沖合いに達した。そこが、援軍との「合流地点」だった。
シャノンが輸送船を停船させると、海面の闇の奥からみすぼらしい小船が現れ、輸送船に接舷すると、数十人のアフリカ人が乗り込んできた。船だけではなく、彼らの姿格好もまたみすぼらしかった。
傭兵たちは、援軍の概観を見て落胆した様子で、彼らの手配人に「これで本当に大丈夫か」と尋ねた。
手配人は、「武器を渡せば君らも安心するさ」と答えて、アフリカ人「兵士」への武器の配給を求めた。シャノンたちは、彼らに自動機関銃を配り、少し先の海面に目標物を投げ込んだ。
すると、援軍のメンバーは舷側に並び海面に向かって一斉射撃を始めた。狙いは正確で、海面の目標物は穴だらけになり、砕け散り、あるいは海中に沈んでいった。
アフリカ人たちは、見かけは粗末だが、兵士としての訓練は高い水準に達していた。彼らは、状況に関する情報は与えられず、とにかくシャノンが率いる傭兵団の指揮に従うように命じられていた。
だが、シャノンは彼らを本物の「解放軍」にしようと考えていた。
やがて、輸送船はザンガロの港に近づいた。傭兵とアフリカ人たちは、機関銃や爆薬、擲弾筒で武装し、上陸用ゴムボートに乗り移った。ゴムボートは、埠頭を迂回して、近くの浜に接岸した。