しかも、国内民衆の生活に不可欠の食糧や消費財はほとんど輸入に頼るようになっていたから、その乏しい貿易収入を振り向けるか、あるいは外国政府や国際機関(世界銀行や開発金融機関)、銀行の借款にすがりつくしかなくなった。
国際機関や欧米の銀行などは、アメリカの主導する新古典派理論に従って、早期の返済のために、融資や借款を提供する条件として、アフリカ諸国に「緊縮財政」「貿易自由化」を求めた。
社会政策や弱者保護、国内の幼弱産業の保護政策(保護関税や育成政策)などのへの財政支出を極力抑え込み、かつ欧米企業の投資や参入を自由化せよ、ということだ。
つまりは、国内の貧困化と産業の弱体化・従属構造が深まるしかなかった。
単純化しすぎたかもしれないが、おおむねこんな状況が出現した。
そんなこんなで発生した武力紛争には、東西陣営が兵器や兵員を送り込んだ。
ソヴィエト陣営は、言論の自由がなかったら「文民による統制:civilian control」とか法=人権思想によって軍や兵員を規制する必要がなかった。つまり、国内の反対派市民や世論・マスコミの批判を気にする必要はなかったから、公式・非公式の軍事介入のフリーハンドは大きかった。
したがって、あまり「傭兵」を利用することはなかった。報酬のための資金が乏しかったことも原因だが。
いよいよ困れば、士気と規律が高く、訓練が整っているキューバ軍を安い報酬でで雇って、過酷な戦地に送り込むというオプションがあった。
アメリカによって貿易を封じられ外貨獲得の機会を失ったキューバは、「社会主義革命の輸出」とか「国際的連帯」というスローガンのもとに、国家の正規軍を「傭兵」として海外(主にアフリカ)に送り込み、キューバにとっては貴重な外貨を獲得していた。
この場合は、国家自体が自分の正規軍を「傭兵サーヴィス」として輸出していたと見ることができる。
ところが、アメリカ・西側陣営は、反対派市民や世論・マスコミの手前、正規の軍や同盟国の軍をやたらに海外に送り込むオプションは限られていた。そこで、頻繁に活用されたのが、傭兵(軍事コンサルタント企業)だ。
傭兵を利用したのは政府や軍ばかりではない。
紛争地域に利権や権益、関心をもつ企業(多国籍企業)もまた、大いに傭兵を利用した。むしろ潤沢な資金と、政府のような市民や世論の批判にさらされることなく、企業自体と株主の利益のためという名目で、とはいえあまり公然とではなく、使いこなしていた。
もちろん、政府(軍部)と企業とが傭兵隊を使って国外問題に介入しようとして結託するという構図もやたらに多かった。
だいたい以上が、この映画で描かれたできごとの「水面下」に潜んでいる状況である。このことを知ってからこの作品を観ると、新たなイメイジが浮かび上がってくるだろう。
では、傭兵(mercenary, Landsknecht)とは何だろうか。
それは、純然たる商業的利益のためにビズネスとして、軍事的サーヴィスを提供する産業ないし職業だ。この「制度」には長い歴史がある。それについては、別の記事を用意する。
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