さて、シャノンは一般旅行者としてではなく、自然史雑誌からの調査取材を請け負った鳥類研究者として、ザンガロに乗り込むことにした。普通の旅行者が入り込まない場所(人気のない森林や草原など)を訪れ、写真を撮影したりする理由を用意するためだった。
ザンガロの空港に降り立つと、そこにはすでに旅行案内人が待ち構えていた。
国内の住民には旅行や移動の自由はなく、外国人旅行者の行動の自由を大幅に制限しているこの国では、ホテルや車(移動手段)の手配は、政府公認の案内人なしでは困難だった。
もとより案内人は、政府の軍部や政治警察のエイジェントである場合がほとんどだった。つまり、政府の監視下でしか行動は許されないということだ。仕方なく、シャノンはその男を雇った。
翌日からシャノンは、この男の運転と案内でザンガロ各地の森林や草原などを監察して回ることにした。だが、案内の男は、行く先についてはシャノンの要望をほとんど無視していた。
仕方なく、シャノンは森で道に迷った振りをして、軍の駐屯地や陣営などをこっそり撮影した。
そこで、ホテルに帰ると支配人に別の道案内人を雇いたいと申し出た。支配人のおススメは、大統領の愛人だという噂のある現地人の美女で、彼女に案内してもらえということだった。
案内人の役目は、その女性自身から提案してきたらしい。
翌日、彼女は首都近辺の名所や港湾地帯を案内した。シャノンは彼女のスナップを撮る振りをして、写真の背景に大統領宮殿や要衝を取り込んだ。
こうしてシャノンが見て回ったザンガロ各地では、民衆は大統領の軍や警察組織によって厳重に監視・抑圧され、極端な窮乏生活を強いられていた。
ゆえに、この国を観光やビズネスで訪れる外国人(とくに欧米人)はきわめてまれで、この国の民衆の悲惨な現状が世界に報道・報告されることもなかった。ただ、風評で、厳しい現実のごく小さな断片が伝えられるだけだった。
それでも、ホテルにはアメリカのテレヴィ局のドキュメンタリー映画制作ティームが来ていて、シャノンはその監督(ディレクター)と知り合いになった。
その監督の話では、撮影には厳重な監視が張り付き、街の様子の自由な撮影・取材は許可されていないという。
その日も、監督たちが民衆のレジスタンスを撮影していると軍・警察がやって来て彼らを拘束して、フィルムを抜き取ってしまった。
そんな状況下で、鳥類研究者の奇妙な行動は、すぐに当局に捕捉されることになった。しかも、あの道案内の男は政権=軍のスパイで内通者だったから、シャノンの怪しげな行動は筒抜けだった。
シャノンは軍に捕縛され、諜報担当の部隊によって執拗に尋問と拷問を受けることになった。連日の暴力でシャノンは「ぼろくず」のようになっていった。何もない監獄でシャノンを介抱したのは、政治犯として拘束されている医師だった。
ところが、ある日、釈放されて国外追放になった。
同宿のテレヴィ映画の監督が、アメリカ領事館に通報してシャノンの身柄の解放を要求させたためだった。
身体中が傷だらけになったシャノンは、軍の手で空港まで送られ、旅客機に乗せられた。
空港での国外退去手続きの合間に、くだんの監督がシャノンのポケットに密かに撮影したフィルムをこっそり投げ入れ、西側の報道関係に渡すことを求めた。
フィルムにはおそらく独裁政権の過酷な支配や抑圧、そして民衆の悲惨な現状が撮影されていたのだろう。