原作は、 Frederick Forsyth, The Dogs of War, 1974。1974年刊のフレデリック・フォーサイスのの小説『戦争の犬たち』。
著者と原作をめぐっては、ある風評がまとわりついている。
小説では、ある多国籍大企業のスポンサーシップを背景に、傭兵たちがアフリカのある小国に乗り込み軍事クーデタを引き起こして、大統領の首をすげ替えることになっている。
ところが、このプロットは、フォーサイス自身が資金を出して傭兵隊を派遣して、アフリカの小国の独裁政権転覆を企図した(計画だけに終わった)という事実にもとづいているのではないか、という憶測が飛び交ったのだ。
私はこの風評の信憑性は低いと思っている。作者自身、アフリカでの自立的な政権運営はきわめて困難だと知っているからだ。「革命」や「改革」を掲げた政変が、さらに悲惨な戦乱や紛争、独裁と抑圧に結びつくことを知り抜いているから。
1960〜70年代、フォーサイス自身はジャーナリストとしてアフリカ各地の戦乱や飢餓、暴動などの調査報道に携わっていた。彼はそこで、過酷な収奪と抑圧を受けた植民地時代からの貧困や独裁などを引きずっているアフリカ各地の悲惨な現実をとらえて、調査報道し続けた。
そこでは、冷戦構造を背景に、その地方固有の問題がソ連とアメリカの対立と絡み合って、砲火や銃弾が飛び交う「熱い戦争」が繰り広げられていた。
彼自身は、いずれの側からも抑圧や迫害、搾取を受け、貧困に苦しみ戦乱に逃げ惑うアフリカ民衆の状況に深い憂慮と同情を抱いていたという。とりわけ、アメリカあるいはソ連の現地工作の傀儡となっている独裁者たちには、強い憤りをもっていたらしい。
その怒りをこめて、資金提供とクーデタ計画を用意したというのだ。
映画と比べて、原作ははるかに入り組んだ状況で、プロットもずっと複雑だ。
だが、映像化できる状況は限られている。
映画では物語りも人物設定、人物配置などは、すこぶる単純化されている。それでも、フォーサイスが何を伝えたかったのかは、十分伝わってくる。
私たちが彼の問題意識を共有するために、この回りくどい説明を加えているのだが。
おおむね戦争が国家の専門ビズネスとなっている現状では、傭兵は、高額の報酬と引き換えに、正規の軍が関与できない(手に余るか後ろ暗い事情があるかの)事態に投入される兵員だ。
リスクが高いのできわめて高額の報酬と引き換えに企図されるビズネスである。
ゆえにプロの傭兵の多くの者は、思想や心情、正義感にかかわりなく、金を目的に、危険な戦場に赴く。母国に生きて帰れば、戦場での重圧や危険から解放された気分を味わうために、得た金を惜しげもなく使いまくることが多いという。
だが、死の危険の見返りとしては、高額の報酬も割に合わないかもしれない。