原作『阿弥陀堂だより』の著者、南木圭士は長野県佐久市の厚生連佐久総合病院に勤務する医師で、佐久市に在住しながら傍らで文筆活動を営んでいるという。佐久での医師としての農村医療の経験や信州の自然風景、また自分の青少年時代の記憶などが『阿弥陀堂だより』に数多く織り込まれているように見える。
さて、佐久総合病院といえば、戦後一貫して展開された長野県での革新的な農村医療運動の中心的な拠点で、その運動を創出・指導した医師、若槻俊一は作者の医療活動のインストラクターでもあったはずだ。
若槻は熱い理想主義を抱く献身的なコミュニストでもあって、佐久地方の農村医療運動は、農民の健康維持向上――減塩食や生活習慣見直しなどの予防医学――と労働環境・生活の改善、自立化、民主化をめざす活動でもあった。
長野県では戦後、若槻俊一をはじめとする理想主義者の共産党員たちが農村の医療活動をリードし、支援してきた。高度成長とともに農業の周縁化や過疎化のなかで日本の多くの農村地帯は「医療の僻地」となっていったが、長野県はそのような革新的・進歩的な医療運動・健康増進活動が組織的におこなわれた。そのため、長野県の農村医療の水準は世界的にも最先端をゆくようになった。
そういう農村事情から長野県では、農協組織の一環としての厚生連が県内各地に拠点としての総合病院を次つぎに建設し、都市部から来た真摯で有能な医師たちが集まって、非常に高い水準の地方都市・農村の医療システムをつくり上げてきた。
一方、日本赤十字も農村に日赤奉仕団を組織化して、厚生連とライヴァル関係に立って、これまた高水準の医療システムを形成していった。そのほかにも医療生協の拠点総合病院も高水準の医療体制を築き上げている。
そういう背景から、長野県は概して高齢者が元気であり、日本でもトップレヴェルの「健康長寿県」となっている。また、農村医療運動の担い手の一端が共産党員であったことから、この県では、共産党の支持率が地方農村地帯としては異様なほどに高い(10%前後)。「何でも反対」「理屈っぽい革命政党」というイメイジよりも、地に足がついた改革政党としての信頼感を得ているのだ。
私の身近にも子どもの頃から、献身的なコミュニストたちがいたことから、高校生の頃からマルクシズムに興味をもち、マルクスやエンゲルスの古典著作を読むことにもなった。私がマルクシズム思想史や国際コミュニスト運動の事情に――私は社会義革命の可能性をまったく信じていないし、距離を置き批判的だが――強い関心をもつにいたったのには、そういう理由がある。
さて、とはいえ、農村医療活動の水準は高いのだが、世界でも日本でも経済は、有力大都市が地方と農村を支配・収奪する資本主義的システムが冷厳と支配する構造=傾向にある。そのため、長野県でも物質的に豊かになったが、山間部の農村は過疎化と高齢化が進行し、人口減少とともに農耕地や里山の荒廃がどんどん進んでいる。
山間部の農村でも核家族化が進み、老人だけの世帯が取り残されていく実態はいかんともしがたい。
映画の物語も、泣きたいくらいに美しく懐かしい風景が広がっているが、過疎化や高齢化、農耕地の荒廃が進行している農村を舞台としているのだ。都市での生活に疲弊した中年夫婦が避難場所とも、生活の再建の地とも選んだ場所は、そういう山里の農村だ。原作者の南木は、農村の人びとの生活に寄り添いながらも、そういう厳しい現実を見つめてもいるのだ。