あるとき孝夫は谷中村の月刊広報誌のなかのコラム記事『阿弥陀堂だより』に目を通してみた。行政の広報誌だから、読みたくなるような記事はほとんどなかったのだが、巻末の最後のコラムに目を引かれたのだ。記事はこうだ。
《阿弥陀堂だより》
目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗尾を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら、知らぬ間に96歳になっていました。目先のことしか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿の秘訣かもしれません。
堂守老女のおうめのインタヴュウ記事のようだ。ちょっと変わった視点から世の中のことを眺めるおうめの含蓄のある語り口を簡潔にまとめ、余計なコメントを付け加えていない。孝夫は物書きとして、インタヴュアーと記事作成・編集者のセンスや資質の高さを感じ取った。
村役場で「阿弥陀堂だより」のインタヴュウと記事作成・編集を担当しているのは、助役の娘で町職員の小百合だった。この若い女性と孝夫はまもなく阿弥陀堂で出会うことになる。
数日後、孝夫は美智子とともにおうめを訪ねた。昨年、彼女が急に血圧が高くなったことを心配して、茶飲み話かたがた血圧測定をするためだ。 美智子がそのときの事情を尋ねると、便所を掘っていて気分が悪くなったのだと答えた。どうやら、排便のさいには、そのつど畑のあちこちに穴を掘って用を済ませるらしい。
「それは大変だだから、もう穴掘りしなくてもいいように僕が便所をつくってあげます」と孝夫が申し出た。おうめは最初遠慮したが、孝夫が仕事もなく大きな身体を持て余していると聞くと、「それはもったいない。じゃあお願いします」ということになった。
翌日から孝夫は、家にあったトタンや材木、スコップなどを抱えて阿弥陀堂に通い、便所づくりを始めた。
そんなある日、小百合がおうめを訪ねてやって来た。お茶休憩のためにお堂に戻った孝夫は、おうめから「阿弥陀堂だより」の担当者として紹介された。咽喉にできた悪性腫瘍の摘出手術の結果、発声できないようになったことも。
彼女は言いたいことをノートに書いて孝夫との会話が始まった。小百合は孝夫の大学の後輩で、小説家の孝夫を尊敬していたようだ。だが孝夫は、「新人賞の後、作品が出版できないでいる『売れない小説家』だと」語るしかなかった。
阿弥陀堂からの飯山盆地の眺め
中央部に鈍く光るのは千曲川の流れ
話題が小説のことになると、おうめは質問してきた。
「小説というもんは、本当の話でありますか、うその話でありますか」
孝夫は答えた。
「本当のことを語るための作り話で、たとえば畑のゴボウの本当のうまさを味わうために、ゴボウを料理してキンピラにするようなものです」
真実を伝えるための虚構の物語だと言いたかったのだが、おうめは「話のキンピラでありますか・・・?」と腑に落ちない様子。
すると小百合が「小説とはことばで阿弥陀様をつくるようなものです」とノートに書いておうめに渡した。それで、おうめは心から納得したようだ。 発声による会話ができない小百合は、物事の要点や本質を的確に記す能力に富んでいるらしい。
「わしゃあこの歳まで生きていると、いい話だけ聞きたいでありあます。切ねえ話はもう聞きたくないであります。金を払って本を買ってまで悲しい話を読みたくない」と語った。
おうめは、お堂の脇の小さな畑で自分が食べる野菜類を栽培して食卓にのせている。動きが鈍くなり腰の曲がった身体をどうにか器用に使って畑仕事をしている。阿弥陀堂の近くから離れることができないおうめにとっては、お堂と近くの畑だけが動ける空間だった。それでも、お堂から千曲川を取り囲む盆地と山岳の美しい風景を眺めることができた。
《阿弥陀堂だより》
畑には何でも植えてあります。ナス、インゲン、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ・・・。そのとき体がほしがるものを好きなように食べてきました。質素なものばかり食べていたのが長寿につながるのだとしたら、それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。